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人の心はどこにあるのか?の表と裏

ワタクシ、只今膝を故障しています。それが結構ひどくて、膝の皿周りが炎症起こして腫れてしまい、膝を曲げたら伸びない、伸ばしたら曲げるのに時間がかかる状態で、足を引きずりながら歩いています。ちなみに、老化現象とか運動不足ではなく、私は10年以上、毎週日曜日の午前中は10キロ程度のランニングをする習慣を持っていて、すっかりルーティーンになっています。今更どうして膝を故障したのか不思議だったのですが、よく考えたら少し前に左足の親指の付け根を切る怪我をして、右足の膝の痛みはそれをかばいながら走ったのがどうやら原因のようです。自分でも意識しないうちに、1つの問題は違うところに影響を及ぼし、負荷をかけるものだと改めて知ることになりました。まるでバタフライエフェクト、世界は本当に複雑です。

沈思黙考の時間

毎週日曜日のランニングのルーティーンは健康維持、体力の衰えを止めるのが主たる目的ですが、実はそれ以外にも大きな効果があります。それは、頭を空っぽにして走ることで1週間にあった出来事を無意識に反芻し、咀嚼する時間になっていることです。考えようとして考えるわけでもなく、自然と気になっていることが頭に浮かび、それについての対処や解決のためのやるべきこと、もしくは発想の転換などが次々と頭に浮かんでは消えていきます。パソコンに向かって仕事をしていたらいろんな情報が次々と入ってきて、自分の思考や考え方について内観する時間など皆無であることを考えると頭を空っぽにして何のインプットをしない状態でただ走るだけの時間はとても大切で貴重な時間になっています。よくイヤホンをつけて音楽を聴きながら走られている方がおられますが、もったいないなー、と勝手に思っています。(笑)

雨上がりの舞子ハーバー

人の心は何処にあるのか?

先週末、よくなりかけた膝の故障をおして軽いランニングを行った時も、ふとした瞬間にすごく大事なことに今更ながら気がついて、無意識下にあったストレスが解消して心が軽くなったような気分になりました。先日のnoteにも書きましたが、私たちが抱えるあらゆる問題や課題は全て人間関係に起因しており、それをコミニケーションで解決していくために必要なのは「人の心はどこにあるのか」との問いを持ち、普段の人間関係の中でそれを意識してコミニケーションをとることだと思っています。最近になってスタッフや塾生にそのことを伝える機会も度々あり、それにつられて自分自身でも意識を強くする中で、表面上、口先で語っている事とは裏腹に人の事は考えず、自分の利益や都合ばかりに意識が向いている人が以前にも増して透けて見えるようになってきました。そして、それを感じてしまうと、そんな人たちとの付き合いに対してストレスを感じるようになっていました。冷たいようですが、テイカーとは一線を引いたお付き合いをした方が良いのではないかと思うのと同時に、そうやって見切りをつけ、人との関係を切り離していくのはお互いに取ってあまり良い事ではないとの思いとの狭間で揺れることが心の奥の方で少なからずあったのです。


杞憂に気づく自己完結

そんなぼんやりとした違和感、ジレンマを抱えていたのですが、実際はこれといって意識をしていたわけではなく、無心に走っている最中にふと浮かんできたのでした。インプットのない状態は自然と意識が内面に向き、潜在的な意識を呼び起こす効果があるのだと実感しました。そして、人の心の在処を意識して感じたジレンマの後に続いて思い出したのは、自然経営塾に通っていた際、天外司朗さんが口にされた、「物事に良いも悪いもない、ただ噛み締めて味わうだけだ」との言葉です。冷静に考えてみたら、人間関係を良くしようと意識することで、交流を持つ相手を限定し、線を引きまくるというのはあまりにも大きな矛盾を孕んでいて、人との出会いから起こる化学反応の可能性、自分の成長をも潰していく所業になりかねません。そもそも、人の心はうつろいやすいと言われますし、一瞬を切り取ってその人の人間性を判断するなんて馬鹿げています。私の信条である、「人は変われるんや」にも反する杞憂だったのだと思いを巡らせました。

雨上がりの舞子ハーバー

真理は実践の中にある

あらゆる問題・課題は人間関係の中にある、コミュニケーションを取る際に、相手の心がどこにあるのか?興味や関心、価値観、メリット、恐れや不安などを慮ることが出来て、そこに正面から向き合って手を差し伸べたり、安心させたり、情報を提供したりすることが出来れば、人間関係は大いに改善するし、関係の質が上がれば自ずと成果の質が良くなるのは、結果は状態に由来するとの言葉通りの原理原則です。普段の生活で自然にそれができるようになれば本当に素晴らしいことだと思います。しかし、そこを強く意識しすぎて、自分だけではなく相手に慮ることを期待し始めると、「忖度できへんやっちゃなぁ」と言うdisりが入るわけで、関係性の質の向上と逆の効果を生み出してしまいます。世の中はすべからず表裏一体であり、表か裏、片方によりすぎると結局どちらも成り立たなくなってしまいます。人の心がどこにあるのかとの問いは、同時に心ない人に対して手を差し伸べる寛容さが必要だと言うことが改めてわかりました。いくら学びの場に足を運んでも、いくつになってもわかったつもりでわかってない事はたくさんあるものです。概念を実践し裏打ちすることで知恵や哲学が生まれるとの出光佐三氏の言葉を噛み締める出来事でした。

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本質的なコミュニケーション理論を実践することで現場で価値を創出する研修を行っています。

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