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シン・タイムマシン経営 〜日本の未来の2つの風景〜

既に「未来」を実現している海外の国や地域に倣い、いち早く国内でそのようなサービスやビジネスモデルを導入、着手するのをタイムマシン経営と呼ばれます。孫正義氏がアメリカで起こったインターネットビジネスに大きな可能性を見出し、日本に持ち込んだのが特に有名です。

近年では、インターネットの普及により情報の地域格差がなくなり、タイムマシン経営という言葉をあまり耳にする事はなくなりました。しかし、情報が全てインターネット上にあるかと言うと、決してそんな事はありません。実際にその場に足を運び、目を凝らしてみれば、確実にやってくる未来を体験することができる場所はまだまだ多くあると私は思っています。

最近、海外ではなく、日本国内で日本の未来を体現していると思える2つの風景に出会いました。そこで感じたのは、ビジネスチャンスではなく、強い危機感と問題意識です。ビジネスだけの文脈ではなく、もう少し広い視点でもうすぐやってくる未来を感じ、そこから逆算して、今行うべきこと、未来に目指すべきことを考える必要に迫られていると感じました。そして、そこで感じ取った未来の社会課題こそ、時代に適応したビジネスモデルの種になると思うのです。

夕張市役所

日本の未来を示す風景

未来の日本の姿を示していると感じた2つの風景の1つ目は、先月訪れた北海道の夕張です。夕張市は、財政破綻した自治体として全国から大きな注目を浴びました。あり得ないと思っていた自治体の財政破綻のニュースは連日、大きく報道され、他の地方都市にも同じリスクが内包されていると、危機感を募らせるニュースが流れました。
市の財政が行き詰まり、次々と行政サービスが行われなくなり、医療や福祉、教育にも大きな影響を及ぼすようになったとの報道は、日本中に衝撃をもたらしました。廃墟と化して行く街は日本の未来を指し示しているとの論調も多く、興味を持たれた方も少なくないと思います。

市役所内の垂れ幕

しかし、その後、夕張市が財政再建に成功しつつあるとの報道が流れました。あまり詳しくは報道されなかったように思いますが、とくかく若い市長が斬新な手段を講じて財政を再建しているとのことでした。その鈴木直道市長は世界経済フォーラムでヤング・グローバル・リーダーズ(YGL)に選出されるなど、活躍が認められ、その後、北海道知事に当選しています。そんなニュースを見て私は夕張が再建に向かっているのかと思っていました。
そんなこともあり、現在の夕張市の悲惨な状況は誰にもあまり気に留められなくなったように思います。東洋経済にて鈴木氏の功罪が論じられています。

廃墟感が売りの夕張炭鉱博物館

黒化する日本

昨年、北海道を訪れた際に、「札幌に住む知人から、夕張市は財政再建したといわれたが、実際は中国マネーに土地建物を売り払っただけで、実態はどんどんひどくなっており、足を運んでみるとその惨状に驚くよ。」と聞いていたこともあり、この度、機会を見つけて夕張に足を運んでみました。
そこでみた景色、感じた空気は完全に廃墟へと向かっている荒れ果てた街というだけではなく、道路や使われていない建物が大自然に飲み込まれて山野と化して行く様でした。人口が減り、財政の収支が賄えなくなり、行政サービスが出来なくなると、町中のあちこちから草が生い茂り始め、全てを飲み込んでしまうのだと気付かされました。夕張市役所のすぐ近くのメイン道路でさえ、歩道が草に覆われて見えなくなりつつありました。それは北海道在住の知人が言っていた通り、確かに衝撃的な光景で、しかも、全国の地方都市で近い未来に同じような状態に陥ると総務省の発表にあります。確実に迫りくる未来です。

夕張市役所近くのキャンプ場は閉鎖

輪島の惨状

夕張市で受けた衝撃を若干引きずりながら次に目の当たりにしたのはつい先日訪れた能登半島の震災後5ヶ月を迎えようとしている輪島界隈の集落でした。いまだに多くの被災者が学校などの避難所で避難生活を送っている現状をなんとかすべく、安心して快適に暮らせる、石川型木造復興住宅の工事が急ピッチで進められています。完成引渡しを5月末に控えて、全く大工の手が足らず、間に合わないのが明らかになり、GW前に急遽応援の依頼が来ました。ちなみに、1ヶ月近く前に、私の方から全国工務店協会の京阪神支部を通して、応援に行かなくて良いのか?と打診した時は、なんとかなるとの返事だったのですが、結局、全く大工は足らなかったようです。

だから言ったのに、、と若干ボヤきつつも、工務部のリーダー連中になんとか現場の予定を調整してもらい、私が代表を務める株式会社四方継をはじめ、マイスター高等学院に参画されている企業から20名ほどの大工が輪島への応援に駆けつけることになりました。その下見を兼ねて今回、私も輪島に入ったのですが、輪島の中心地から少し離れた集落では未だに倒壊家屋の解体も、廃材の山も全く手付かずの状態でした。集落の全ての家屋が倒壊、もしくは危険な状態でかろうじて建っているしているにも関わらずです。

絶望と諦めの廃墟

私たちは全国でも数少ない自社で大工を社員として雇用している事業所ということもあり、大きな災害が起こる度に復興支援の声が掛かりますし、その度に大工スタッフが現場をやりくりして応援に駆けつけます。熊本の震災の際は私も現地に入り応急復旧工事にあたりました。
神戸、宮城、熊本とこれまで数々の被災地を訪れてきましたが、今回の輪島は今までの被災地とは少し違った印象を受けました。それは、復興するまでかなりの時間がかかるだろう、とかではなく、このまま復興されることはないのではないか、との絶望と諦めが入り混じった感情でした。

老人ばかりが住んでいた限界集落の立派な古民家は、今後、若者が住む気配は全くせず、立て直す必要や意味を感じられなかったのです。周囲には美しい田畑が広がっているだけに、勿体無いにも程がありますが、瓦礫と廃材と化した家屋は片付けられることさえ無く、このまま自然に飲み込まれていくのではないか、としか思えませんでした。大自然による地震と緑化、強制的な夕張化です。それが違和感なく受け入れられるような雰囲気さえ感じました。被災された方には申し訳ないのですが、それが私の正直な感想です。

能登地震の証明

建築業界の中では常識で、一般的にはあまり知られていないのは、人口減少で空き家が劇的に増えても、残すべき、使い続けられると認められる建物は全体の3割程度しかないとの事実です。これは正確なデーターが示されていないのですが、国交相住宅局で国の住宅政策を司っている方でも同じことを言われます。ここでの判断基準は2つあり、1つは耐震性、もうひとつは温熱性能(省エネ性能)です。その条件を満たさなくても、古い伝統的な建物で文化や技術の継承のために残しておくべき建物も数多くあると私は思いますが、建築基準法に照らせば、この2つの条件を満たさない建物は新たに作ることができない、不適格な工作物であり、人の命を脅かし、地球環境への負荷が著しい。との判断が下されます。耐震、断熱性能を担保するより、建て替えた方がコストもかからないのが現実で経済合理性が優先される今の社会では解体が正解だと言われます。そして、能登地震はある意味それを証明してしまったと思うのです。
田舎の集落の家は昔ながらの日本家屋で田の字型の間取りに、南向きに大きな窓と広縁があり、そこには壁が殆ど無い作りになっています。土を乗せた瓦葺の重い屋根に揺さぶられて、1階が圧し潰された家が輪島界隈の集落では軒並みでした。これは、明日にでも日本全国の地方の集落が輪島化する可能性があることを示しています。残念ですが。。

哀愁漂う上棟時に祀られた御幣

シン・タイムマシン経営

夕張と輪島が示しているのは圧倒的な人口現象局面にある地震大国日本の未来だと感じました。このまま、何もせずに手をこまねいていたら、容赦無く起こる自然災害に地方都市は次々と壊滅し、未開墾の山野に返ってしまいます。この圧倒的な事実を目の当たりにして、タイムマシーン経営という言葉が私の脳裏に浮かびました。
人間も地球に生きる自然の一部だと考えれば、それが良いのか?悪いのか?さえわからなくなりますが、少なくとも私たちの先祖が、豊かな暮らしを夢見て山野を切り拓き、私達に残してくれた土地を、成行きまかせの受け身で失って行くのは良いようには感じられません。

日本の人口が何人に収まるのが最適なのかは分かりませんが、昨今の混迷を極める世界情勢を鑑みれば、自国の食料を賄えるのは国家の安全保障上、絶対必要条件だと思います。ただ、人が住まないところに建物はいらない。人が住まなくなったところは自然に返すのはおかしなことではありません。せっかく人口に対して食料供給率が高い地域があるのに、それを失ってしまうのは日本にとって大きな喪失です。必ずやってくる地震の災害、人災から生まれる食糧危機、これらの備えとともに都市部と地方の関係性も改めて考え直すときに来ていると強く感じます。
必ずやってくる未来から気をそらすことなく、すべての国民が向き合わなければならないのではないかと思うのです。

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経済合理性と身の回りの人だけの幸福を追い求めるのではなく、100年先の未来に思いを馳せつつ、あり方を見直す機会があります。答えがあるか分かりませんが、何らかのヒントは必ず得られると思います。ぜひご参加ください。


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