事業と経営と文化
先日、とある経営者に事業計画のプレゼンテーションを聞いてもらいたいとの依頼を受けました。軽い気持ちで引き受けて、20分ほどの事業プレゼンを拝聴しましたが、一体誰のために何のために話されているのか、的が全くつかめないまま、そのプレゼンテーションは終りました。フィードバックで(失礼ながら)そのように素直にお返ししたところ、「とある経営者の勉強会で事業計画には、数字を書き込むことが重要だと言われて、(違和感を感じながら)売り上げ目標を中心に作ってしまいました。」との事でした。どうやら、本当に事業を通じてやりたいことと大して根拠のない数字の羅列との文脈と整合性が取れないままのプレゼンテーションになってしまったようです。非常に勿体無い。
大転換、逆転の時代
現在、世界は大転換期を迎えていると言われますし、実際にここ数年で起こった出来事は、それまで想像だにしていなかったことばかりです。時代が変わると言うのは、単に奇異な事象が並ぶだけではなく、人の心や意識が大きく変化する事に他なりません。その最も顕著なのが、経済に対する意識ではないかと最近強く感じています。
日本は、戦後のアメリカによる植民地統治を経て、完全に西欧資本主義にどっぷりと浸かり切りました。自由主義、株主主体の金融資本主義が経済なのだと認識されてきました。その結果、紆余曲折ありましたが戦後80年近く経った現在、株価は上がり、大企業の内部留保は大きく積み上がりました。しかし、景気が良くなるどころか国民の暮らしは真綿で首を絞められるように厳しくなっています。そして、社会課題の宝庫と言われるほど問題の多い国に日本は陥ってしまっています。それが極まって、大きな転換、逆転する時代に入りつつあるのが今の日本だと認識しています。
経世済民への回帰
古来から日本における経済とは、そもそも経世済民を標榜してきました。今の日本では、徐々にその原点回帰が進んでいるように感じています。事業を行うにあたり、「世のため、人のために働きたいと言うが、本音では金を稼ぎたい。」と言う意識から、「事業を行うには、マネタイズが必要ではあるが、本当は世のため人のために働きたい。」そんな志の高い経営者が増えてきているのを最近肌で感じています。
万物の霊長の人間たる目的
そんな価値観が逆転した時代における本質的な「事業」とは、お金を稼ぎ資産を肥やす利己的な行為ではなく、世の中にはびこる社会課題を解決したり、新たな人の幸せを作るスタンダードを創出することであるべきだし、近年、少しずつではありますが、その様に事業の定義に対する認識が変わりつつあると思うのです。
そもそも、経営とは経糸を営むと書きます。短い時間軸で手っ取り早く稼げる事業を起こすことではなく、次の世代へと連綿と続く人を救う、人の幸せを生み出す営みであるはずです。個人や組織が持てる様々な能力やリソースを総動員して次世代により良い世界を紡ぐ、古典にあるように「擧げて之れを天下の民に錯く」ものであるはずです。福澤諭吉先生が上梓され、日本人に最も読まれた本であり、明治時代には教科書にもなっていた『学問のすゝめ』の中で書かれている「人としての目的を果たす」に通じる観念です。
事業で生み出すべきは文化
自分が興したい、もしくは遺したい、人生を賭けて行いたい事業がある。と人に伝えるなら、上述の概念を折り込むと、その目的は世を經さめ人を民を濟うことであり、次の世代に定着させて綿々と続く営みになるものであるべきだと思います。このような明確な目的を示したプレゼンテーションを行えば、必ず共感して協働、共創したいと声をあげる人が現れます。一人で、一社でできることはあまりにもたかが知れています。たった一度きりのかけがえのない人生を使って行う事業はちっぽけな夢ではなく、自分の枠を超えた高い志にして、人生を意味や意義のあるものにしたいものです。
長い時を経ても耐えられる人を幸せにするための新しいスタンダードを創り上げ、定着させることこそ事業ならば、それは後々、文化だと認識されるはずです。福澤諭吉先生も、今の便利で豊かな暮らしは先祖が培ってくれた文化文明のおかげであり、それを少しでも発展させて次世代に繋ぐことこそ、人が行うべき道である。と説かれていますが、それこそがこれからの時代の事業の方向性ではないかと思うのです。あらゆる事業は、文化を創生する意図を持って考えるべき時代になったと思うのです。
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日本にキャリア教育の文化を定着すべく、職業経験を積む高等学校を運営しています。
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