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志教育とマーケティングの聖地の深すぎる絆

今年3月に運営の一般社団法人マイスター育成協会を立ち上げ、4月に開校したマイスター高等学院で今年最後の授業を行いました。職人育成の高校でのカリキュラムは生徒が社会に出て大きな活躍が出来る様に、社会から求められる人材像をバックキャストして組み立てています。ベースとして使っている教科書は「大学」で、座学の授業では必ず大学の素読を行います。
教師としてそんな授業をしていると、3千年の悠久の時を経て現代に受け継がれている論語がいかに本質的な教育に繋がっているかを繰り返し体感させられます。

上杉鷹山公の守人

12月とは思えない暖かさの今年の冬ですが、1週間ほど前に寒波が日本列島を覆った際は、北国では一気に大雪が降った様です。豪雪地域として有名な山形県米沢市にあるマイスター高等学院 米沢準備校の校長から一晩で50cmもの積雪があったとの冬らしい便りが届きました。
一気に多くの積雪があったと聞いて、私が心配するのは、上杉神社にある上杉鷹山公の石碑が雪に埋もれてしまっていないか?との懸念です。
昨年、米沢を訪れた際、鷹山公の銅像の真向かいにあったはずの石碑がすっかり雪に埋もれて見えなくなっており、翌朝、米沢を後にする前に上杉神社を再訪し、スコップを借りて雪を取り除いた経験があります。そのことを現地の廣居社長に伝え、日本式マーケティングの聖地と言われる上杉神社がこのような有様では困ると苦言を呈しました。
非常に真面目で誠実な性格の廣居社長はそれ以降、石碑が雪に埋まってしまわない様に頻繁に雪かきをしてくれているそうで、「鷹山公の石碑は任せてください。」と言ってくださいます。もちろん、今回の大雪でも「雪かきをしております。」との連絡をくださいました。ひと安心です。(笑)

日本が誇るマーケティングの聖地

私が、米沢、上杉神社を日本式マーケティングの聖地だと敬うのは、ひとえに上杉鷹山公の偉業に感服しているからです。リーダー自ら襟を正し、思いやりと愛をもって城下、藩下に信頼を回復し、その信頼を力に変えて荒地を開墾し、産業を興して破綻しかけていた米沢藩を見事に日本でも有数の豊かな国に再建したことに由来します。私が長年学び、実践を積み重ねてきた原理原則に則った、信頼関係の構築をベースにしたマーケティング論は、上杉鷹山公の偉業を範として、松山藩の山田方谷が幕末に再現し、その系譜は二宮尊徳翁、渋沢栄一氏へと受け継がれ、日本式経済理論、マーケティングとして実を結びます。世界中で経営の神様と呼ばれたドラッカー博士のマネジメントの根底にある「真摯さ」や世界で最も読まれた自己啓発書、「7つの習慣」で有名なスティーブン・R・コヴィー博士がその書籍の中で示した、理解してから理解されする、インサイドアウト。ウィン・ウィンなどの概念は明らかに東洋的な思想であり、上杉鷹山公からの流れを汲んでいるのは間違いありません。これはあくまで私見ですが、両博士は非常に日本好きで良く研究に訪れて来られていたので間違い無いと思っています。

詩云、楽只君子、民之父母。

米沢で私が雪をかき分けて救い出した?石碑に書かれていたのは「民の父母」という文字です。今日のマイスター高等学院の古典の授業で大学の素読を行なった際に、そのくだり「詩云、楽只君子、民之父母。民之所好好之、民之所悪悪之。此之謂民之父母。」を声を出して読んだ後、生徒に米沢での石碑を雪から守ってくれている廣居社長の話をしました。私達がこれまで行ってきた、職人が現場で信用と信頼を得て、広告宣伝をせずに次々に仕事を依頼され継続してきた事業のルーツは米沢にあり、そしてその源流は毎回、素読をしてはその内容について話し合っている「大学」にある。全ての学びとアウトプットとしての行動、そしてその結実としての事業は一本の糸で繋がっているのだと説明しました。だからこそ、高校一年生で大学を学び、日々新たな気持ちで明徳を明らかにする行動に注力するのは大きな意味があるし、必ず社会に出て活躍出来る人材へと成長出来るのだと。
その後の事業では改めて、何のために学ぶのかを明確にする、志を明らかにするワークを行いました。
「関西の人々の笑顔があふれる良い町にするために、大工になって地球に優しい自然に配慮した家を造り地域の人の役に立ちたい」との志、15歳から大学を丁寧に修めて、実践に移している優太はきっと実現すると思うのです。
そんな志高い若者を数多く社会に輩出することこそ、激動の時代に生きる私達大人の責任だと思うのです。

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