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志とその実践を聴いて、分からない人と感じる人の差異

私は今年いよいよ50代の後半を過ぎて、ジジイの仲間入りをするおっさんですが、気持ちだけはいつまでも若い時のままで、相変わらずアグレッシブに、あちらこちらに足を運んで学ぶ機会を持つようにしています。

良いも悪いも無い

近年、我ながら年相応の気づきだなぁと思ったお気に入りの概念は、「物事や事象に良いも悪いもなく、ただ噛み締めて味わうだけ」との、自然経営塾での天外司朗さんの言葉です。ただ、(老害の入り口なのかもしれないと危惧しておりますが、)好きと嫌いは、最近今までになく感じるようになってきて、年甲斐もなく、なのか、年がいったからなのか分かりませんが、嫌悪感をあらわにすることが少なくありません。こりゃだめだ、と一刀両断にして見切りをつけてしまうのは残された時間が少なくなってきたのを無意識に感じているのかもしれません。それも結局、良いも悪いもなく、ただそこにある感情としてかみしめて味わうようにしています。(笑)

嫌いなモノ、コト

私が嫌いなもの、嫌悪を感じる第一位は、形だけで中身が無い、心無いモノやコトです。上っ面だけ取り作っている、一応、と前置きをして言葉だけで誤魔化す、全く実践する気が無いのに口先だけでやります!との返事。表面だけ綺麗にカッコよくて繕った住まい手の暮らしに心を配らない住宅やそれを大量に供給する会社、写真映えばかりを気にして美味くないラーメンも大嫌いです。そんな事を良く感じる様になったのは同時にそこに心がこもっているか否かを感じる様になった、良く言えば本質を見極められる様になった、悪く言えば自分の価値観に偏狭なったとも言えるかも知れませんが、とにかく、自分自身でも上っ面を滑る様なことはしたくないし言わない様に気をつけています。

メタファーを感じろ

昨年の年末に受けたコーチングセッションの中で、現時点での自分自身の特徴を5つ書き出しました。その中の一つに「メタファーを見出す」という習慣とも習性とも言える癖がある事を述べました。ちなみにメタファーの定義はこちら、

メタファー
隠喩、暗喩ともいい、伝統的には修辞技法のひとつとされ、比喩の一種でありながら、比喩であることを明示する形式ではないものを指す。
Wikipedia

Wikiでは暗喩と定義されていますが、メタファーは言葉だけに限らず、絵画や音楽、映像にも作り手の意図として埋め込まれています。特に映画や小説には表面的なストーリーテリングだけではない作り手の想いや思想、世界観が反映されている事が多くあります。例えば、すずめの戸締りは日本古来の宗教観についてのオマージュだ、みたいな。私はそれらの作品を眼にする度にメタファーを感じる様に心がける癖がついており、むしろ、その為に作品に触れると言っても過言ではありません。

人の心の在処

なので、そのメタファー(暗喩)の先にある本質が薄っぺらい、くだらないと感じた時に嫌悪感を感じるのですが、これは書籍や小説、絵画などの作品だけではなく、人との会話ややりとりでも同じです。人は心の中の想いをそのまま口にしたり、行動に移すことなど滅多にしなくて、オブラートに包んだり、比喩に置き換えたり、本当の想いを何かしら屈折させて表出してきます。普段からあらゆる事象に触れる度にこれらは一体何を示しているのか?どのような意図を持っているのか?とメタファーを探し、概念に転換する癖がついてしまっている私は、人とのコミュニケーションでもこの人は本当は何を考えているのか?との問いを持つ様になってしまいました。なので、表面的な返事をされたら気がつくし、心が込もっていない所作や行動が眼についてしょうがないのです。無意識のうちに人の心の在処を見聞色(ワンピース用語です)で覗きに行ってしまうのです。

CL mtg

志を感じ、受け取る場

そんな自分の特徴とも癖とも取れる習性なので常に見聞色(探知感覚?)が発動している状態が通常になっています。なので、私との会話をしていると、「要するに」とか「本質は」とか「結局」等のまとめの接続詞が多いとのご指摘を受けることがあります。鬱陶しがられることも少なくないですが、日本人は言葉を割愛して話す民族であることを鑑みると、言外に伝えようとすることを汲み取れることも多く、自分では長所ではないかと思うようにしています。そして、その長所が特に発揮できる場があります。それは経営位実践研究会のコンテンツの一つで、毎月7の倍数の日にオンラインで行われているCL(creative legend)mtgなる全国の様々な業種業態の経営者が志とその実践である事業についてプレゼンテーションを行う場です。そこに参加する度に感情移入するほど共感し、個別にメーセージを送ったりと志で繋がる仲間が増えています。

李小龍先輩!

論理ではなく感性

そのような素晴らしい機会が毎週のようにありますが、参加者の中には登壇者の熱のこもったプレゼンテーションを聴いても言ってることがよく分からなかったとの声がしばしば聞かれます。確かに、20分という短い時間なので伝わりきれないことは多々あるし、熱い想いを語り過ぎるとその実践であるはずの具体的な事業の中身を紹介しきれないなどの課題は色々とあるのですが、聴き手が言外にある想いを汲み取る姿勢で聴かなければ想いを受け取ることは出来ないと思っています。世の中はデジタル化が進み、あらゆることが論理的に解明され、情報収集が出来るようになっているかのような錯覚に陥りがちですが、本当に大事なものは目に見えないものだと昔から多くの識者が言い続けているように、言語化、見える化されているのは氷山の一角だと考えるべきです。そして見えないものは感じるしかありません。論理よりも感性を優先したコミュニケーションこそが、人と人との理解を深め、世の中を円滑に、そして本質的な人の幸せに向かわせると思うのです。ブルース・リー先輩が言われていたように考えるよりも感じろ。ですね。

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そんな私も1月14日15時〜のCLmtgに登壇します。志と世の中に対する想いを熱く伝えますので、良かったら聴いてください。参加無料、ゲスト歓迎です。ご興味がある方はお気軽に高橋までご連絡ください。


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