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最初のモノづくりの記憶

それなりに人生を長く生きていると、「自分」というものをより深く知りたいと思うようになってきたような気がする。

「自分」を形作るもの。それは生まれてから今まで経験してきたこと、育ってきた環境なんだろうと思う。それを記憶から紐解いてみようとするのだけれども、記憶というものがかなり曖昧であるような気もする。なので、少しずつでもいいので、文章として吐き出して、残してみることにしようと思う。

最初の記憶

僕が覚えているいちばん古い記憶はなんだろうと考えてみた。でも記憶ってあいまいなもので、思い出す時によって、違う記憶が思い起こされるような気がする。きっと、脳の中にはすべての記憶が格納されているんだろうけど、思い出すという検索を行うときの検索ワードによって、引き出される記憶に差が出てくるのではないだろうか。

僕が覚えているいちばん古い「モノづくり」の記憶。それは、幼稚園のころだったと思うが、母親に買ってもらった「4個パックのプラモデル」。

当時、幼稚園には母親に自転車で送迎してもらっていた。その帰り道、たまに立ち寄る店があった。

そのころ僕が住んでいた町には、町の駄菓子屋さんや、小さな商店街の中にあるなんでも置いてある文房具店があった。そのお店もそんなお店の1つで、店先の台には、おもちゃやプラモデルが積み上げられていて、僕にとっては宝の山みたいな感覚だったことを今でも覚えている。

5歳か6歳ごろの幼稚園児にとっては、普通のプラモデルは作れるはずもなく、上に載せたような、部品点数も少なく、パーツをランナーから切り取って、組み合わせて組み立てるだけの、簡単なプラモデルを時々買ってもらった。この記事を見ると4点パックで300円とあるように、当時の幼稚園児に与えるおもちゃとしては、決して安い買い物ではなかったと思うし、こうして記憶に残っているということは、きっと何か特別なタイミングで買ってもらっていたのだと思う。

その後、小学生になってもプラモデルは大好きで、ガンプラブームが始まったときも、新発売されるプラモデルを買うために、おもちゃ屋さんに並んだりしたことをよく覚えている。

社会人になって、ある時、プラモデル熱が再発したことがあった。子供の頃夢だった、エアブラシによる塗装。それから当時、雑誌やインターネットで見ていたプロモデラーと呼ばれる人たちに影響されて、大量にストック買いしてみたり。いまでも倉庫にかなりの量のプラモが眠っているのだが、果たしていつか完成させる日は来るのだろうか。

連想で掘り起こされていく記憶

こうして記憶を文章に起こしていくと、不思議なことにそこから連想される形でいろんなエピソードを思い出してきた。

こうやって、幼い頃から今に至るまで、自分を形作ってきた記憶のかけらを掘り起こすことで、あらためて自分というものについて考えることもできるのではないかと思う。

という感じで、なんのオチも起承転結もなく終わってしまうわけだが、自分的にはこれはぜひともゆっくりでもいいので続けていきたいと思うので、気が向いたときに少しずつ、掘り起こしていくことにする。

ちなみに、これまで数多く作ってきたプラモデルだが、あまり完成させた記憶が無いのはなぜだろうか。

今考えるに、きっと僕は、完成させたものよりも、そこに至るまでの過程、いやもしかしたら、作り始めるまでの気持ちの高まりに対して、喜びを感じていたのかもしれないな。

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