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2023.11.23 GTが正史じゃない理由は、超サイヤ人4がおかしいからだけで論破できる。

今日は口悪くないシリーズ!ドラゴンボール編。

GTがオンエアされていたのは1996〜1997年。
僕は墨田区の小学1年生、1クラスは20人程度しかいない地域でした。

当時の僕はZのアニメを少し観たか観てないか程度。
ジャンプを読む文化もなかったので、なぜピッコロが大魔王なのか、トランクスが大人だったり子供だったりするのはなぜか、サイヤ人という存在の意味すらわかりませんでした。

時は経ち2007年、僕は高校3年生。
夏休みの間ずっと転がり込んでいたバンド仲間の同級生の家で、ドラゴンボール全巻を発見。
3日かけて読破したのち、僕は完全にドラゴンボーラー(?)になってしまった。

「そうかぁ、この世界は我々の知らないところで闘ってくれてる戦士がいたんだ。」

ブウ編以降の物語が気になる僕。
インターネットに転がる創作漫画を読んで心を満たすしかなかったある日、GTの存在を思い出しました。

「そうだ!続きがあったんだ。」
さっそくお友達からVHSを借ります。
(当時すでに世の中はDVD、早い人はBlu-rayでしたが。)

ドラゴンボーラーとなった僕は、当時謎のまま観ていたGTのお話が、点と点が繋がるようにしっくりきました。

途中までは。

そう、それはベジータがベビーに洗脳されている頃のお話。

孫悟空はパンの一筋の涙に触れ、大猿で理性を失っている自分を制し、超サイヤ人4へと変身を遂げることに成功。
あのシーンはとても感動的でした。

…ですが待ってください?

なぜ、大猿から超サイヤ人4に変身した途端、悟空は服を着ているのですか?

ピッコロの魔法によるものですか?
いいえ、そんなはずはありません。

合体する時も服は変化してるって?
それはメタモル星人の技や、ポタラの効果があってこそです。

悟空単体で不思議な技を使うことはあります。

ナメック星では、クリリンの頭に触れそれまでの出来事を探る。

心臓病で床に伏していた際には、夢の中で人造人間やセルの動向を知る。

ザマスに対して、見様見真似でビルス様の破壊技を試みて途中までは成功させる。

そしていよいよシリアル星において、グラノラとベジータが闘っている隙に、自分の心臓に気功のようなものを当てる回復技を習得。

キビトやデンデもビックリです。

しかし、無から物体を作り出すような技は、サイヤ人には持ち合わせる描写はこれまでにありません。
それに悟空がいちいち変身の度に服を気にするのは、裸すら厭わない本人の性格からしても謎なのです。

唯一考えられるのは、瞬間移動のようにヤードラット星で再度修行をし、ピッコロのような技を習得したのかもしれません。
ピバラ様もベジータに修行をつける際、「全てはスピリット(気)のコントロールの延長に過ぎない。」というような旨を言っていた事から、魔族やナメック星人、あるいはメタモル星人が得意とするような技もそれにより習得することが可能なのかもしれません。


しかしそれでも解せないのは…

やはり悟空の性格の問題で、いちいちそのような戦闘に直接関係ない配慮を悟空がするとは思えないのです。
チビから大きくなり、またチビに戻る、この過程でいちいち悟空が服を生成するような技を使うとは考えづらい。

よって僕が出した答えは、

GTはみんなの見ていた夢なのかも知れない。

ストーリーや戦闘力描写ではないのです。
超サイヤ人4の服!
その一点において、つじつまが合わないだけなのです。

それ以外はとてもドラゴンボールらしい演出、空気感。
これらは現在の超のアニメ版にはなかなか出せないものです。

だから正史ではなく、夢なのです。

みんなで同じ夢を観ていたのです。

それがわかった人から、今月号のVジャンプを買いに出かけてください。
まもなくスーパーヒーロー編も終わりますね。

ここではお好きに。