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2024.7.4 ②僕らは場合による

 いい奴でいたいか?やな奴でいたいか?

 いい奴でいたいなら、やな奴を味方にしろ。やな奴にやなことをさせて、いい奴のおまえがそれを咎めるのだ。誰が見てわからないくらいの、偶然的な依存がちょうどいい。身長の小さな奴がさらに小さな奴を集める程度の、皮相なその場しのぎより。

 やな奴はここからそこまではいい奴だ。いい奴がいい奴と思われる為の役を、やな奴が買って出た。変わらないままのいい奴、やな奴というのは存在しない。性善説、性悪説はあくまでモノクロの世界の仮説であり、本来は色彩感覚のように場合による。

 いい奴がやな奴をやな奴としなければ、周りがいい奴をいい奴としなければ、それをしたところで最初からそれはフィクションでありファンタジーなのだ。
 自分を宇宙や物質から切り離された普遍で絶対的な存在と思い上がってはいけないよ。そもそもぼくらは場合による。

 はるか遠くの山奥の、未だかつて人類に踏まれてすらいない土は、それすら父母のひとつふたつであって、おまえは六千五百万年前の恐竜の出した飛沫の泡だし、隕石の破片ないしそのクレーター。
 牛乳は月の裏側だし、ニュース原稿はバオバブの木であるが故に太陽は散らかる下着。
 テロリストの犯行声明でかき氷は溶け始めた後、左手で書いた文字は右手で描く絵と何が違うんだ?言葉の世界よ。

 見ていなければ存在しないのでは、百年前にその話は聞いたわ。龍樹よ、違うかったら反論しておくれ。僕らは東洋哲学と量子力学の区別のつかない無教養な人間だから。

ここではお好きに。