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六本木と蕨のおにぎり

「あんたたちいい子そうだから、これあげるよ。」

ぶっきらぼうな丸顔に、きれいにかかった強めのパーマ。白髪を黄色く染めた金髪が短く顔にそって手入れされている。新しい居酒屋やバーが立ち並ぶ六本木のなかで、古き良きお店の雰囲気を残した路地裏のお店で、60は超えているだろう店員のおばちゃんから突然そう言われて手渡されたのは、蕨の炊き込みご飯のおにぎりだった。

蕨生と醤油のコンビネーションの絶妙な匂いとほんのり暖かいおにぎりに、私は思わず歓喜する。

「えーーー!やったあ!!!」

人からの善意を遠慮せず全力で喜んで受け取ると決めたのは20代の半ばからだから、貰い手としては遅咲きなわたし。そんなわたしでも居酒屋やスナックでもらうおにぎりは人生で1番くらいに好きな貰い物だから、心の底から喜べた。

***

店内は、立派な一枚板でつくられた相席して座る大きなテーブルが2つ。そのなかで、店員のいるカウンターに1番近い席に座ったわたしたちに、おばちゃんは「ここに座ったのが正解だったね。」と話を続ける。あんたたちおもしろそうな話してるじゃない。
私と友人は、これまでの仕事や読んだ本、関心のある社会テーマの話をしていたのだが、そこを面白がってくれたららしい。


ちょうどそのとき、常連さんが2人やってきた。
ただいま〜という感じではいってくる背の高い40歳くらいのお姉さん。続けて入ってくるおじさんは既に顔が赤らんで、足元がふらついている。

おばちゃんは、他の席も空いていたにも関わらず、私たちの隣にその常連さんたちを通す。

すると、奥で料理を作っていたママも、料理が一旦落ち着いたからか、こちらへ出てきて、一緒に座った。腰はくの字に曲がっていて、たくさんの人生を重ねている佇まいだ。ママのショートヘアは、青くぞんざいに染められている。色はとてもきれいな青だった。腰の曲がりが嘘かのように、目はくりくりしていて、黒黒しい。

ママと店員のおばさんたちのグラスが用意され、常連のお姉さまがビールを注ぐ。ふたりは一息ついて、ビールをぐいと一息でのむ。ちょいちょい話きいてたけどあんたたちおもしろそうだから。と、おばさんがわたしたちも乾杯に混ぜてくれた。

65までは朝までのんでたわよ、最近は夜中までだけど。と笑うおばちゃん。空になったおばちゃんグラスをみつけるとすぐさま常連のおねえさんは、オレンジジュースのように泡がないビールをコップに並々に注ぐ。歳を感じさせない飲みっぷり。酒好きとしては憧れずにはいられない。


話をしていると店員だと思っていたおばさんは、店員ではなく、まさかのボランティアらしいことがわかった。もともと常連で、その流れでお店を手伝うようになったという。おねえさんも、「わたしもちょいちょい手伝っているんだ」と嬉しそうに話してくれる。もしかしたら、客ではなく店側として手伝うようになることがある種の常連としてのステップアップなのかもしれない。
資本主義のなかで勝ち進んだ外資金融やIT企業が立ち並ぶ六本木に、こんな貨幣が介在しないつながりの話があるもんなのか、と自然と笑顔で話に聞き入ってしまう。

ママの向かいに座るおじさんは、江戸時代からタイムスリップしてきたように絵に描いたような酔っ払いで。今日は、地元のクラス会の幹事だったけど、朝から飲んで酔っ払い、夕方には寝てしまい、幹事をすっぽかしたという。なんと気持ちのいい酔っ払いの失敗話。腹の底から笑わせてもらった。

一方でおねーさんは、「本当にだらしないんだから」と、そのことを責めている。「だからもう今日はこれ以上飲んじゃだめですよ」と。何度も何度も事あるごとに言っている。お姉さんも酔っ払っているのかもしれない。

おじさんは、「幹事の仕事は当日までの仕事なんだからいいのよ」と言って、お店にキープされているいいちこを炭酸でわり、躊躇いもなく飲み続ける。おねえさんは、放っておくとグラスの半分くらいいいちこを注いでしまうおじさんを監視して、たくさんの量をいれないよう注意している。いいのいいの、とその監視の隙をぬって、スイスイといいちこをコップに注ぐおじさん。
それをみて手を叩いて笑うわたし。そして、わたしもそのおじさんのいいちこをもらって、玉露で割ってすいすい飲む。


「この人こんなだけど、神輿がすごくてね。令和のときに、天皇陛下の前で神輿を担いだのよ。」とおねーさんは綺麗に手入れされたネイルをした指でおじさんを指差す。もしわたしにも体たらくだけど憎めない親類がいたらこんなふうに紹介するのかもしれない。おねえさんのその表情にどこか羨ましさも覚えた。


分厚い1枚板で作られたテーブルに、パリパリの海苔のおつまみに、お酒。くだらない馬鹿話と東京で忘れかけていた暖かみ。そして、まかない飯の蕨のおにぎり。


ああ平和だ、ああ好きだ、。


わたしはこういう瞬間のために生きているかもしれない。きっと、高層ビルから街を見下ろす時よりも、ブランド物のプレゼントよりも、ラップに包まれた茶色いおにぎりの方が嬉しいのだ。いまこの瞬間をまるっとぎゅうっと抱きしめて一体化したい。

***

私たち以外に客はいなくなり、閉店の時間になった。シャッターが閉められ、閉店した店内で続く楽しい酒の時間。

しかし、そろそろ私たちは明日の労働のために家に帰らねばならない。

「また来なさいね」という暖かい言葉を受けて手を振りながら店を出る。


わたしたちは、この居酒屋でおしゃべりをして、呑んでいる。明日やいつかの未来のための生産も労働もまったくしていない。その無意味な時間が愛おしい。


六本木の街のネオンの中で、その街に似つかわしくない不恰好な蕨のおにぎりを握りしめ、私たちは足取り軽く、家路へとつくのであった。

後記
2020年の1月の思い出。コロナでなかなかお酒が楽しめない寂しさを噛み締めながら。。はやくまた、あのお店に行きたいな。

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