信田さよ子さんのラジオ講演「 母という難問 カウンセリングの現場から」

NHK カルチャーラジオ
 「人間を考える 心と向き合う 2」
信田さよ子
「 母という難問 カウンセリングの現場から」

(※2022年11月6日21時で配信終了)

noteでフォローしている方の投稿で、この放送を知った
すごくいい内容で、数回聴いた
もうすぐ配信終了になってしまうということで、
メモを取りながら最後にしっかり聴いた
以下、そのメモです

日本の家族は、非常に不思議なところがある
夫婦はそれほど仲がいいものではない、というのが普通
どこか仮面夫婦的な
その一方、日本は親子の絆が深い、とされている

日本国憲法では、
両性の合意によって夫婦が成り立つとある
愛し合う男女が出会い、
その結果生まれた子ども、
というのが日本の家族の基本ということになっている、
理念上は

同性の親子である母と娘の間に問題があるはずはない、
と思われてきた
母は娘を大切にし、娘は母を大切にする、
という幻想

その幻想に対して、
これまでさまざまな異議が投げかけられてきた

異議申し立て・第1期
1980年代に始まるフェミニストカウンセリング
第2派フェミニズムとともにフェミニストカウンセリングが入ってきた
河野貴代美というアメリカに留学したソーシャルワーカーが
帰国し、中野でフェミニストカウンセリングを始めた
そこで、母との関係の問題を訴える人が多かった

異議申し立て・第2期
1996年~ アダルトチルドレン(AC)ブーム
ACとは、「子どもは親の被害者である」ということを初めて言った言葉
あらゆる親は、子どもを産んだとたんに何らかの加害者性を帯び、
子どもは何らかの被害者性を持っている

アダルトチルドレンの定義は
「現在の自分の生きづらさは親との関係に起因する、と認めた人」

1995年は、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件が起きた年
その年の暮れから、アダルトチルドレンという言葉がブームになった

異議申し立て・第3期
2008年
信田さよ子『母が重くてたまらない』
斎藤環『母は娘の人生を支配する』
佐野洋子『シズコさん』などなど
母の問題を扱うテーマの本が相次いで出版された
→主にメディアで働く女性たちが強い関心を寄せた

1995年に女性だけのACのグループを始めた
ほとんどの女性の最終的な問題は、母だった
母がすみずみまで自分の中に入り込み、
自分が自分の人生を歩んでいるのか、
母が自分の人生をのっとっているのかわからない、
というような訴えがとても多かった

異議申し立て・第4期
毒母、毒親という言葉
第4期は、東日本大震災がなければ生まれなかったと思っている
田房永子、小川雅代(女優・小川真由美の娘)等による当事者本ブーム

第3期ブームを担ったのは、
高学歴で新聞社や出版社などで働く女性たちだった

その母とはどのような人であったか?
それは、団塊世代の母たち(信田とほぼ同世代)
戦後、大量に世の中に送り出された人たち
学校に行けば、教室が足りないような
日教組が幅を利かせていた時代
学校教育は、非常に原則的な民主主義教育
男女平等
生まれ育った環境を問わず、
勉強して学歴をつければ社会の中でそれなりの地位につけた
厳しくも、ある種の希望もあった時代
60~70年代の日本は、朝鮮戦争のあおりもあり、
アメリカの庇護の下、先進国の仲間入りを果たした

その陰で、女性は?
性別役割分業 
家事育児は女性、仕事は男性
男女平等で自分の理想を追求しよう
という学校教育を受けてきたが、
その一方で、
24までに結婚しなければいきおくれ
という常識がまかり通っていた
そのころに恋愛結婚と見合い結婚の率が逆転

…というダブルバインド状態の中で、
女性の中で深刻なアイデンティティクライシスが起こる
私は「〇〇さんの妻」で「△△ちゃんのママ」でしかないの?
孤独な育児
育児の責任
家事育児に関心を示さない夫
勉強したのは何のため?

子どもの教育に没入していく
復讐意識もある
敗者復活戦
私の人生は失敗だったが、まだ娘がいる!
「ママはこんなはずじゃなかった、
あなたは経済力を身につけなさい」
経済力をつけると、
「結婚は?」
「子どもは?」
「1人だけ?」
と娘への注文が延々と続く

私の人生は母のため
母が不幸なのは私のせい
と娘は思ってしまう

幼児的万能感
幼児のとき、小さな成長に周囲の大人が「できたね!」と祝福する
その裏側の表れとして、
あらゆることを自分のせいだと感じる
震災のあと、
「僕がおねしょしたからあんな地震が起きたのかな?」
と多くの子どもが言った

それが顕著に表れるのが親のけんか
面前DVが子どもに与える影響は非常に大きい
親の不仲を自分のせいだと思ってしまう
自分はいないほうがいい、がデフォルトになっていく

面前DVなどの見たくないものを見させられ続けた子どもは
生の執着がどこか弱いところがある
大きな出来事があったときに逃げ遅れる子どもがいる

親は、親であるだけで思い上がっている
子どもからの愛情が親のよりどころになってしまっている

子どもの教育に熱心な母親
娘は、母親は自分の同盟者だと思う
自分の人生を一緒にたたかってくれた
私は、お母さんの代わりに人生を生きてきた
お母さんのやりたいことを全部私が実現してきた
だったら、「ありがとう」とお礼を言われてもいいはず
それなのに、ずっと不満を言う親って何なのか
「最後はあんたが私を救ってくれるよね」
と、娘を自分の救済者だと思っている

日本における親子幻想
「家族の絆」と言ったとき、中心にいるのは母親

母の愛の持つ支配性
母は自分の加害性に無自覚
娘の苦しみに一切母は気づかない
世間もそれに加担する

母娘問題の裏には何があるか
それは、父親不在の別表現
父親が機能していれば、娘の苦悩はそこまで深くならない
父親は母娘に関心がない
娘が父親に相談するという選択肢を持たないことが問題
母親をケアすることが父親の役割
娘に愛を求める母ではなく、
夫に愛を求める妻であり続けるということが、
ある種、結婚の義務

毒親・毒母という言葉の功罪
<功の部分>
娘が親を毒として定義する
子どもが親を定義することは、これまで許されてこなかった
一方、親はずっと子どもを定義してきた
反抗期とか、発達障害とか
子どもは定義される一方だった
定義権の奪還という意味では革命的だった

<罪の部分>
言葉としてわかりやすすぎる
わかりやすい言葉は、
本来の意味から離れて消費され、消えていく
母との関係は単純に解決できる問題ではない
しかし、毒親という言葉によって、
簡単に解決可能な問題であるような錯覚に陥ることが問題

毒親と言われたときの親のショック
「おまえは私を毒だと言った」と
親に逆襲のきっかけを与えてしまう
しかし、「私はお母さんが重かった」と言われたら、
母は批判できない
そういう意味で、親からの攻撃はない
毒と言えば、それが再び火種になってしまう
戦略的に考えて、
「あなたは毒だった」と親に宣戦布告することは、
いい結果をもたらさない

母に対する期待は、なかなかなくならない
母にわかってもらいたい、愛してもらいたいという
気持ちが何かの拍子に出てきてしまう
一言でいいから、「ごめんなさい」と謝ってほしい、とか
しかし、これはいったん断念しないといけない

2008年に30~40代だった娘が、現在50~60代
親は80~90歳
80・50問題と同じようなことが起きてくる
関係に問題を抱えた母娘が
介護などをどうやっていくのか
母が高齢化することで、母の力が相対的に弱まる
母は弱者になることで、そこを逆手に取ってわがままになる
娘は、老いる母と距離を取る自分に負い目を感じる
結果、母の支配が弱まることはない
母が認知症になることは、娘にとって残酷なこと

母として必要な心構え
娘のことは自分が一番よくわかっている
という思い込みを捨てること
母と娘は全然違う世界を生きている
その2人が「親子だよね」とやっているのは、
娘がえらい
自分が娘に対して加害的なことをしてきた、
と認めるのはとても苦しいこと
自分は善意でやったことに「傷ついた」と言われたら、
「そんなつもりはなかった」と自己弁護したくなる
それでも、しんどくても自分の加害性を自覚しなければいけない

成育歴をきちんと語る
親子の問題は、親子だけで解決できない
外部の専門家も巻き込んで、成育歴を見つめる
自助グループやSNSも活用して、仲間を持つ

母親を許す許さないは、どうでもいい
そこは問題にしないほうがいい
許さなくても親切にはできる
それは許す許さないとは関係ない
技術としてかかわる
感情と行為との切り離し
世間から悪口を言われないために

母に対する期待は、いったん断念しないといけない
許さなくても親切にはできる

という言葉にハッとした
こういうピリッとした考え方は、
自分の中だけでぐるぐると思い悩んでいても
決して出てこないたぐいのものだ
優しくできる、ではなく、親切にはできる、
という絶妙な言葉選び

毒親・毒母という言葉の功罪についての解説も、とても腑に落ちた
信田さよ子さんの時にぶっきらぼうな話し方が、耳に心地よかった

今の私にとって、お守りになるような放送だった
あともう一回聴いてしまいそう…

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