親の介護と自分のケアの記録 その17

親に由来すると思われる生きづらさを抱え(いわゆる宗教2世当事者という側面もあります)、2021年3月からカウンセリングに通い始めました。
これから介護などの必要が生じて親と向き合わなければならなくなる前に自分の問題を棚卸ししたい。
そうカウンセラーに伝えた矢先、母が脳梗塞で入院することに。
自分を支えるために、その経過を記録しています。

6月・第1金曜日 雨
実家滞在 14時過ぎ~16時過ぎ
酢キャベツ、酢タマネギ、きのこマリネ、焼きスパム 持参

キッチンシンク周りの掃除、換気扇カバー交換(やっとできた!)、トイレ掃除等。
汚れがすごいことになっている洗面台にも着手したいけれど、
いつもなかなかそこまで手が回らない。

母が生協で冷凍食品をたくさん頼むが父はそれをあまり使わないため、
冷凍庫がぱんぱんになっている問題発生中。
父に「冷凍食品もどんどん使ってよ」と話してみるが、
「あんまりおいしくないから、(母に)もう頼むなと言ってくれ」と
言われ、その旨を母に伝える。
母、少ししょんぼりと、「わかった」とのこと。
生協でしか買い物ができない母。
ついいろいろ買いたくなってしまう気持ちもわかるけれど…



6月・第1水曜日 晴れ
実家滞在 11時半〜15時半
酢キャベツ、酢タマネギ、きのこマリネ、サラダ白菜のツナマヨポン酢和え 持参

洗濯物畳み、入浴デイサービスの持参品準備、足湯→手足の爪切り、生協の宅配物の受け取りと整理、キッチンシンク清掃、扇風機を出す、長袖をしまってTシャツを出す、生ゴミとビン缶をゴミ置き場へ

生理2日目で頭が少しボーッとしているが、イラつきはない。
キッチンにコバエ発生中。対策せねば。


6月・第2木曜日 晴れ
母の通院に付き添い 9時半~13時半

母には4種の薬が処方されているが、薬嫌いの母は、たまに意図的に服薬をサボっている(断続的に生じる湿疹を薬のせいだと思っていることも大きい。薬を飲む前から出ていたものだし、季節的なものも大きいようだが、母はかなり強く薬のせいだと思い込んでいる)。
私が注意しても、あまり聞かない。
「じゃあ、医師に時々飲んでいないことを伝えて」と言うと、「わかった」と言っていたが、いざ診察になると黙っていた。

服薬のことにいらだちを感じ、通院後、帰り道の途中の木陰に車椅子を止め、しばし母と話す。
実家に戻って話すより、外で話したほうが冷静に話せる気がした。
「できるだけ薬を飲みたくない、という気持ちはわかるけど…」と、極力頭ごなしにならないよう話そうと努めるが、母の主張が極端かつ現実味を欠いたものなので、次第にいらだちが強くなる。
「脳梗塞の再発防止のための薬なの。勝手に薬をやめて再発したらどうするの?」と言うと、「脳梗塞が再発して、それでぽっくり死ねたら本望だ」みたいなことを言ってくる(これは医師に対しても以前言っていて、医師からは、『ぽっくり死ねる可能性より、麻痺が今よりひどくなる可能性のほうがずっと高いですね。そんなにうまくはいきませんよ』と言われていた)。

そのうち、話題は服薬から離れ、Kのことに移った。
母が、「私はもう十分よく生きた」とかきれいにまとめようとしてきたので、「ふざけんな。私がどれだけ苦しかったと思ってんだ。あんたたち(父親含む)はいっつも自分のことばっかだ」みたいなことを私がまくしたてた。
言葉はキツめだったと思うが、これまでよりずっと冷静に話せたのは大きな変化だった。いつもなら、こういう話題になるとわなわなと震えがくるような感じがあり、声も叫びのような感じになってしまう。
いつもが爆発レベル5なら、今回はレベル2くらいの落ち着きで話せていたと思う。

ずっと黙っていた、カウンセリングに通っていることも話した。
ふと、「話そう」と思えた。
カウンセリングに通い始めて1週間もたたないうちに、母が倒れたことも。

感情の乱れは少なかったが、かなりキツい言葉はたくさん吐いた。
途中で母に、「あなたは他のひとに対してもそういう感じなの?」と言われ、「それはない」と言った。
私のねもとにはずっと怒りが渦を巻いていて、それは母に端を発しているものだと思う。
母いわく、私は突然怒りだすことがあり、母はそれを心配していた、とのこと。
母から、私が小学校4、5年くらいのころ、怒って風呂のガラスを割ったことがあった、と言われたが、まるで覚えていない。
そのとき、どんな怒りがあったのだろう。

なんだかんだ、1時間くらい話しただろうか。
内容はとげとげしいものだったが、とにかく終始ほぼ冷静に話せたことに自分で驚いた。
ほとんど折り合いのつかない会話だったが、「生きるのって大変」ということには2人とも同意して終わったのはなんだか笑えた。

帰りにスーパーでコバエ取り剤を買い、実家に着いたらシンク近くに設置した。
疲れを感じていたので、早々に実家を出た。


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