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吉本ばなな『はーばーらいと』・極私的感想

少し前にこの本の存在を知り、これは読まねば…!と思い、即買い、すぐに読み終えた。
よかった。
わたしのために書かれたんじゃないかと妄想してしまうくらい、よかった。

装丁もすごくすてき。
プロローグ的な二十数ページのあとに、「はーばーらいと 吉本ばなな」と書かれた中表紙が現れるのだが、ここでまず泣きそうになった。
映画みたいで。
あと、裏表紙の裏に貼られた紙がつるつるすべすべの紙で、読んでいるとき、ずっとそのツルスベ感を指で味わっていた。ちなみに、表紙の裏に貼られた紙は、少しざらっとした普通(?)の紙。
装丁は、大島依提亜(いであ)さん。
映画のパンフやポスターも多く手掛けている方らしい。
今まで小説は文庫で読むことが多かったけれど、単行本のよさを存分に味わえた。

内容は、中学生のときに両親がややカルトっぽい生活共同体に入ってしまった少女・ひばりが、両親を取り戻してみせると意気込んで自らもそこに潜入するが奪還を果たせず、幼なじみ・つばさの家族によって助けられる、というシンプルなお話。

つばさのお母さんがすばらしかった。
地に足をつけ、目の前のすべきことを着実にやるひと。
ひばりは原家族に捨てられても、つばさの家族によって守られる。
わたしにも、つばさのお母さんみたいなひとがいたら、と読みながら思ってしまった。

わたしもひばりと同じ一人っ子で、小学生のときに親がカルト色の強い新興宗教に入り、親は30年以上信者を続けている。
人に言ったことは多分ないが、ずっと「わたしは捨てられた」という感覚を持っていた。
ここ数年は、両親のバックグラウンドを考えると、宗教にすがる気持ちもわからなくはない、という気持ちもある。けれど、そこの家の子どもとして育ったわたしのこの苦しさはどこにぶつければいいの?という感情をどう処理したらいいのかわからず、ずっと葛藤してきた。無理かなと思いつつも、いつか脱会してくれるかも、という淡い期待を抱き続けてもいる。

『はーばーらいと』を読み、ふとひらめいた。
つばさのお母さんを、わたしの心に住まわせればいいのかもしれない。
こうあってほしかったお母さんとして。
そして、母に対して「あなたは親としての役割を果たしてくれなかった」と思い続けることを、やめてみる。親のことをあきらめてみる。
うまくいくかはわからないけれど、ずっとぐるぐると同じところを回り続けてきた状況からは抜けられそうな気がしている。
その方向で、やってみよう。

あと、下に引用したけれど、私にも、洗っても落ちない汚れのようなものが自分にまとわりついている感覚がすごくある。

「しかし落ちなくても、ていねいに泡立てた石鹸で洗う行為を日々時間をかけて同じようにくりかえすしかない」

そうだ、そうだよね…と思った。
ほんとうに読めてよかった。

「ああ、やっと言える。誰にも相談できなかったことを。
うちの両親はなんだかんだ言って私の望みがいちばんだと思ってくれると思っていた。だから絶対どうにかなるって。でも全然だめだった。何年かけても太刀打ちできなかった。」
 ひばりは言った。まだ信じられないというように。
「もっと長い間をかけてもだめなのかなあ。ひばりは外に出て、外から根気よく説得しても?」
 僕は言った。まだ可能性はある、と思いたかった。
「それは多分、内部から攻めるよりもっとむつかしいと思う。最初は思ってた。いつか両親は、勉強にもみかん様にも飽きるだろうって。でも、経済も仕事も友だちも拠点もみんなここと決めてしまうと、年齢が大人になればなるほど出るのは困難になるっていうことが、当時の私にはわからなかった。うすうす違うかもって思っていると、人はますますその場所にしがみつくようになるんだ、ってことが。……

P59-60

「……だから、週末だけその両親の部屋に泊まりに行くんだけれど、いっしょに長く過ごしているとたまに時間が戻ってきたみたいに、昔の両親がふっと姿を見せるのよ。『すいか食べるか?』『私、伊豆の切り方で食べたい』みたいな会話をしているとき、読んだ本の感想をユーモアとか皮肉混じりに話すとき、思い出話をするとき。急に、あれ? 昔に戻った、これなら縁を切らなくても大丈夫かも、と思うの。
 それで毎回夢を見ちゃったんだよねえ。なんだ、このままやっていけばいつかはわかってくれるかも、って。
 でもすぐに彼らの中からみかん様の教えが顔を出すわけ。いつのまにか血の中にしみちゃってるみたいな感じで。
(中略)
 あのお母さんはもういなくなっちゃった。でも、見た目が同じだからなかなかそう思えなくて。宇宙人に一部だけ乗っ取られたみたいな感じ。……

P62-64

 ただし僕の母なら、信仰を生きると決めたとしても、僕と妹が自立してからにするだろう。ひばりを巻き込んだのは、彼らなりの甘えなのだろう。親にそんなふうに甘えられたら、一人っ子はどうしたらいいというのだろう。きっとひばりはできることをみんなしたんだな、そう思った。

P67

「……さっき、てんとう虫が私の折れた指の上を這っていった。感覚はあまりないけど、小さいステップに細胞が癒やされていくのを感じた。これが人生だし奇跡だと思う。私は共同体の夢とか、理想の社会生活の実現より、そっちのほうこそを、人生とその奇跡だと思いたい。」

P77

 そして、あんな場所にはもう二度と行きたくない、と帰りの電車で思った。どうしてかよくわからないが、体に色を塗られたような感覚がなかなか抜けなかった。もはやひばりごとなかったことにしてしまいたい、ただ淡々として楽しかった自分の生活に戻りたい、そんな気持ちでいっぱいになった。
 思想が合わないところにいるということの本質の洗礼を、僕はその日全身で受けたのだった。
 洗っても落ちない汚れみたいに、僕の精神にしみができた。それがくりかえされるのが大人になるということだ。決して落ちないしみだ。一生落ちないかもしれない。忘れても何回も浮かび上がってくるだろう。
 しかし落ちなくても、ていねいに泡立てた石鹸で洗う行為を日々時間をかけて同じようにくりかえすしかない。もし自分が生きたいように生きるのなら。ただ淡々と、歌うように。

P85-86

「残りの書類のことや、手続きは、弁護士さんにお任せします。必要なら私が何回かここに参ります。とりあえず今日は今すぐ、この子を連れて帰りますから。」
 母は言った。何も言わせないという雰囲気だった。母のこういう強さを、僕は子どものときに確かに何回か見たことがあったことを、はっきりと思い出した。

P125

 もう振り向かずに、まっすぐ車に向かった。
 あのおじいさんの姿を僕は一生忘れないだろう。全然邪悪な感じではなかった。
 でも、だからこそもっと重い気持ちになった。なにかを悪くしようと思って始める人はいない。だんだんズレていくのだ。その感じはこの世のあちこちにありあまるほどにあふれている。

P131

 自分も大きな事件を乗り越えたことがある僕は、人間の生態はそんなに甘いものではないということをよく知っていた。できごとの圧も悪夢もくりかえし襲ってくるだろう。心が動かなくなって停滞することも、やっと忘れたと浮かれた夜に見る悪夢も、現実にはなくなりはしない。でも、くりかえし、そう、手を淡々と洗うように少しずつ、体は忘れていく。あのインパクトを、長く続いた暗い恐怖の日々を。

P141

「うん、わかってる。全部『善かれと思う』世界だったからね。」
 ひばりは言った。
「でも、今は先のことを考えることはない。いつか和解するかどうかも、考えなくていい。怒っていていい。怒ってるほうがきっといい。」
 僕は言った。ひばりは強くうなずいた。

P146

 誰かが自分らしく好きなように生きる(ひばりちゃんの両親も、つばさくんのお父さんも)ことが、巻き込まれた近しい人を傷つけることがあるということを、人の心の動きとして、書いてみたかった。
 好きなように生きてはいけない、という話ではなく、他者の自由を尊重した上で人と過ごしていけるのがいちばん良い、というようなことだ。しかし関係性に執着がある場合、それはとてもむつかしい。そしてたいていの関係性は執着から逃れられない。

P150-151(あとがき)

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