『居るのはつらいよ』抜き書き①

東畑開人『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』より。

 どんなにヘタクソでも、そこにいる誰かがやりつづけないと回らなくなる仕事というものがあるのだ。
 専門家の仕事は一定水準以上のことができないならば、しないほうがいい。外科手術もセラピーも、未熟な者がやっていいことはない。うまくできなければ、相手に致命的な損害を与えてしまうからだ。そこにはリスクが存在している。だから、専門家にはトレーニングと経験によって、一定水準の資質が求められる。
 だけど、素人仕事は違う。ヘタクソでも皿洗いはできる。そして、誰も皿洗いをしないと、キッチンは汚れ切って、使用不可能になってしまう。それはすなわち、食事を出せなくなるということだ。家事がそうであるように、日常に支障をきたさないために誰かがそれをやらないといけない。
 だから、僕は運転しつづけた。僕が運転をしないと、体育館でバレーボールができないし、何よりタマキさんは自分じゃデイケアに来ることができない。事故を起こすのは駄目だけど、普通に運転して現地まで無事に送り届けられるならば、それで十分合格点がもらえるのが素人仕事なのだ。レースのようにタイムを競って、体育館まで激走する必要はない。
(中略)
 エヴァ・フェダー・キテイというフェミニズム哲学者が面白いことを言っている。彼女はこういう素人仕事のことを「依存労働」と呼んでいる。
 依存労働は、脆弱な状態にある他者を世話(ケア)する仕事である。依存労働は、親密な者同士の絆を維持し、あるいはそれ自体が親密さや信頼、すなわちつながりをつくりだす。(キテイ『愛の労働あるいは依存とケアの正義論』85頁)
 依存労働とは、誰かにお世話をしてもらわないとうまく生きていけない人のケアをする仕事だ。「弱さ」を抱えた人の依存を引き受ける仕事といってもいい。
(中略)
 それはまるで子どもをケアするお母さんの仕事だ。子どもは自分で自分のことができないから、母親にいろいろなことをやってもらわないといけない。おむつを替えてもらい、ごはんを食べさせてもらい、洗濯をしてもらう。母親は子どものさまざまなニーズを満たす。子どもの依存を引き受ける。
 このとき、母親の仕事は多岐にわたる。「ワタクシは授乳することには異論はありませんが、おむつについては契約に含まれておりません!」とはなかなか言えない。いや、そうやって主張すること自体は可能かもしれないけど、実際には誰かがおむつを替えてあげないと、そのあいだに赤ちゃんのお尻はかぶれてしまう。
 ケアってそういうことなのだ。なんらかの脆弱性を抱えた人には、さまざまなニーズが発生している。誰かがそれに対して臨機応変に対処しなくてはいけない。だから僕は麦茶もつくるし、床にこぼれてしまった沖縄そばの残骸を雑巾で拭き取る。結局のところ、誰かがそれをやらなくちゃいけない。
 キテイは、そういう依存労働が専門家の仕事とみなされにくいことを強調している。
依存労働の仕事としてすぐ思い浮かぶのが、一人であらゆる仕事をすべてこなす形態であり、仕事が合理化され、専門化されるようになると、依存労働とは認識されない傾向にある。(同書85頁)
社会学では、母がしているような仕事を機能的に拡散した仕事、専門家がしているような仕事を機能的に特化した仕事と呼ぶ。(同書98頁)
(中略)
 そう、僕らにとって、依存は本質的な営みなのだ。弱ったときに、誰かに頼る、ケアしてもらう。あるいは、弱った人のお世話をする、ケアをする。それは僕らの本能だ。
 そういう原初的ケアが、徐々に専門家の仕事へと分化していく。体を専門に診る医者が現れ、食事をつくる栄養士が現れ、そして心を扱う臨床心理士が生まれる。それぞれに特化した職業が生まれるのだ。中井久夫は、看護は医学よりも古いと書いていたけど、ケアはセラピーより古い。
 依存労働とは、専門化されないままに残ったケアの仕事のことなのだ。だから、僕はそこにニーズがあれば、ありとあらゆることをやらなくてはいけなかった。
 このとき、問題をさらに入り組んだものにしているのが、そういう依存労働の社会的な評価の低さだ。この点についても、キテイが指摘している。この人は哲学者なんだけど、子どもが障害を抱えていて、毎日そのケアをしていたから、いろいろと葛藤を抱えていたのだろう。徹底的に依存労働について考えているのだ。
ポスト産業時代において専門職が可視化されてきたのに比べ、現代社会の個人主義的性格は特に依存労働を不可視化させている。要求水準は高いとはいえ、高い報酬が与えられる専門職に対し、依存労働は、無償ではない場合でも、賃金は非常に安い。(同書99頁)
(中略)
 たとえば、夫が会社に働きに出かけ、妻が専業主婦をしていると、夫は立派にお金を稼いでいて、妻は夫に依存しているように見られがちだ。
 だけど、本当は違う。夫もまた妻に依存している。夫は食事・洗濯・掃除という生存するための最も基本的なことを妻に依存している。ほら、桃太郎のことを思い出してほしい。おじいさんが柴刈りにいけるのは、おばあさんが洗濯という依存労働をしているからなのだ。
 依存労働は見えにくい。おじいさんにおばあさんの価値は見えにくく、おばあさん自身も「あたしゃね、柴を取らないで、洗濯しているだけなんで」と思いやすい。
 自立を良しとする社会では、依存していることそのものが見えにくくなってしまうから、依存を満たす仕事の価値が低く見積もられてしまうのだ。川で洗濯とか、超大変だというのに。巨大な桃が流れてくるような、デンジャラスな現場なのだ。
 まわりを見渡してみてほしい。依存労働の社会的評価は確かに低い。小児科医の給料は高いけど、保育士の給料は低い。老後の資産運用をするファンドの給料は高いけど、介護の給料は安い。他人事じゃない。僕もまたセラピーのほうが、ケアの仕事よりカッコいいし、価値が高いと思っていたからだ。(P102-107)
 ヒガミサがしていたのは、「素人」というよりも「大人」の仕事だ。大人は当たり前のことを当たり前のように進行していく。それこそが善き依存労働だ。
 ハイエースの中は盛り上がっていて、冗談に夢中になっているから、みんなヒガミサが柔らかいブレーキを踏んでいることに気がつかない。いや、きっとヒガミサが運転していること自体に気がつかない。もし、ヒガミサが運転していることに気がつくとすると、それは彼女が事故ったり、きつめにブレーキを踏んでしまったときだけだ。
 依存労働というのはそういうものなのだ。この本にたびたび登場する精神分析家ウィニコットは次のように言っている。
ことがうまく運んだときには幼児は何が適切に供給され何が妨げになったかを知る手立てをもたないということは、多様な抱っこという母親による育児の問題を考えるとき、ひとつの眼目になる。幼児が知るのはことがうまく運ばなかったときである。(ウィニコット『情緒発達の精神分析理論』51頁) 
 そう、人は本当に依存しているとき、自分が依存していることに気がつかない。
 僕らが幼かったころ、夕食が出てくることにいちいち感謝しなかったし、その裏にあるお母さんの苦労について思いを馳せることなんてしなかった。おじいさんは山で柴刈りをしているとき、その日のフンドシをおばあさんが川で洗濯してくれていたことに気がつかない。
 子どもがいちいち母親のしていることに感謝しているとするなら、それは何か悪いことが起こっている。依存がうまくいっていないということだ。依存労働は当たり前のものを、さも当たり前のように提供することで、自分が依存していることに気がつかせない。
 そう思うと、依存労働って、本当に損な仕事だ。すべてのお母さんたちは大変なのだ。仕事が成功しているときほど、誰からも感謝されないからだ。感謝されなければされないほど、その仕事はうまくなされている。依存労働の社会的評価が低いのには、きっとそういう事情もあるのだろう。依存は気がつかれない。(P113-115)
 心のケアとは脆弱な人と一緒にいて、相手を傷つけないことだ、と僕は思う。少しずつそういうことがわかってきた。だけど、それはたやすいことではない。そのときケアする人自身がじつは傷つきやすく、脆弱な状態に置かれるからだ。依存労働者は、依存されることに伴うさまざまな難しさを飲み込まないといけない。
 だから、キテイは、依存労働者には「ドゥーリア」が必要だと述べている。
 出産し、赤ん坊を世話することになった母親のために、身の回りのことを手伝ってくれる人のことを「ドゥーラ」という。キテイはそこから着想して、ケアする人をケアするもののことを「ドゥーリア」と呼ぶ。それは「ドゥーラ」の複数形だ。ケアしつづけるために、ケアする人は多くのものに支えられることを必要とする。
 僕にも「ドゥーリア」があった。そのうちの大きなものが臨床心理学だった。僕はメンバーさんとの距離のとり方や立ち居振る舞いを臨床心理学から得ていたと思うし、メンバーさんたちの脆弱性を心理学的に理解することが、彼らを傷つけないことを可能にし、そしてそのことで自分自身を傷つきから守っていたと思う。何より、こうやってケアする仕事に価値や意味があることを臨床心理学が教えてくれていた。(P117)

自分が長年抱えてきたモヤモヤについて端的に語られていると思い、長めに抜き書き。エヴァ・フェダー・キテイ『愛の労働あるいは依存とケアの正義論』、読みたい。

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