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『いなくなっていない父』金川晋吾

失踪癖のある父親を被写体にした写真集『father』の作者・金川晋吾による、『father』ができる過程とその後をつづった本。

『father』はパラパラとめくったことがある程度だけれど、「失踪癖のある父親をずっと写真に撮っているひと」ということで、金川晋吾という名前はずっと気になっていた。
他の本を探しているときに偶然本屋で見かけ、衝動買い。
読み始めたら、おもしろくてびっくりした。

パラパラ見ただけなので勘違いかもしれないが、『father』という写真集からは、どんよりした閉塞感とか、初老男性の加齢臭とか、そんなようなものを感じ取っていた。
『いなくなっていない父』にもそんな感じのものを期待しているところが少しあったが、読んでみると、そのイメージを大きく裏切られた。

まず文章がものすごく乾いていて、じめっとしていない。
そして、著者の父親が、こちらの勝手なイメージを見事に覆すひとで、なんとも魅力的。
失踪癖がある、ということで、セルフネグレクトみたいな状況を勝手に想像してしまうが、冷蔵庫には自作のぬか漬けがあったりする。
若いころはスポーツ万能で、少年サッカーチームのコーチをやっていたこともあったり。
でも、消費者金融にかなりの借金があったりもする。
何なんだ、このひと。明るい謎、みたいな感じ?
でも、ひとってそんなに一貫性なんてないし、誰しも一筋縄ではいかないよなあ、と思う。

あと、著者が、自分と父親とをきちんと切り離して捉えられていることにただただ関心した。
親との関係に悩むひとへのアドバイスとして「自分と親との間に境界線を引きましょう」とか、「親は親、自分は自分と思いましょう」とか、よく言われて、それはそうなんだろうとは思うけれど、私はそれが多分全然できていない。
だから、やや過剰と思えるほどに父親を突き放して見ている著者のありように感動するようなところがあった。

読めてよかった。
何回か読み返したい。

 私は父に説教されたり叱られたりしたことがない。それは私がまったく悪いことをしなかったわけではなく、小学校二年生で万引きをしていたことが発覚したときでさえそうだった。何を根拠にそんなふうに思ったのかはよくわからないが、父と母は私に「悪いことをしたというのはしんごが一番よくわかっているはずや」と言うだけで説教したりすることはなく、「もう今後はこういうことはしないな」と確認をするだけだった。私はそのとき、とても救われたような気持ちになったのを覚えている。
 父は(そして母も)自分とは切り離された別個の存在として、自分の子どものことを見ていたのだと思う。私のことで父自身が妙に恥を感じたり、その逆に妙に得意げになったりすることはなく、父自身の理想を私に押しつけたりすることもなかった。父はそもそもそういう理想みたいなものを抱いていない人だった。
 父や母がそういう人だったからだろうか。私は父が行方をくらますということを繰り返すようになっても、それは父の問題であって自分の問題ではないと思うことができていた気がする。
 父がいなくなることによって生じるさまざまな現実的な問題に対して心配したり不安な気持ちになったりすることはたしかにあったが、自分が父に見捨てられていると感じて悩んだり、傷ついたりすることはなかった。そんなふうに私が思えたのは、それまで父が私をちゃんと養い、一人の人間として尊重するような育て方をしてくれていたことが大きく影響していると思う。 

P32-33

 父は基本的にはとても温厚で他人に威圧感を与えたりしない人だが、自分自身と向き合うことを強いるような問いを投げかけられ、その問いのなかに身を置かないといけなくなっているときには、とても静かに、父自身も自覚していないようなレベルで、怒りを感じているように見えた。といっても、その怒りというのは私という個人に向けられているというよりも、もっと漠然とした何かに向かうものだったと思う。その何かというのが、こうやって借金がふくらんで生活が立ちいかなくなっていることに対してなのか、こういう状況になったことについて他者に説明をしないといけないことに対してなのか、それはよくわからないし、おそらく父自身にもわかっていなかったと思う。

P71

 いろんなことが面倒くさくなって、そこから逃げだしたくなるなんて誰もが一度は思うことだろう。ただ、それを実際にやるかやらないかのちがいがあるだけで、そのちがいもその人の性質にすべてが還元されるわけではなくて、置かれている状況やタイミング等々によって影響されるものでしかない。私は父を何か逸脱したもの、改善されるべきものだとは考えたくなかった。
 またさらに言うと、私は、自分のことを徹底して見ないようにすることができる父に対して畏怖の念のようなものを抱いていたし、そんな父をおもしろがって見ているところもあった。すでに述べたように、私は父の行く末を「最後」まで見届けたいと思っていたりもしたが、それは私の性質によるところが大きいし、私が父の写真を撮って作品にしようとしていたこともかなり大きく影響していると思うが、一方で、父という人間自体にもそう思わせるようなところが、つまりおもしろがって観察しても大丈夫なんじゃないかと思わせるところがあった。
 なにせ父本人が自分の問題を直視しようとしていないので、良くも悪くも過度に落ち込んだり、呪詛の言葉を吐くことがない。だから、一緒にいてもどこか他人事のように関わることができた。もちろん、父に対して呆れたり苛立ったり、何か虚無と関わっているような気持ちになって、また別の種類の落ち込みを経験することはあったのだが、「でも、これは自分の問題ではなくてあの人の問題だ」と思うことができた。父には、「別にこの人のことを見捨ててしまってもいいんだ」と思わせてくれるところがあった。

P78

 映像や音声は「記録」として意味があるものであり、あとで振り返るための資料として、父にとっても私にとっても後々役立つものになりうると思えた。それに対して、写真を撮ることは「記録を残す」ことだとは思えなかった。写真というものは、私にとっては作品として使用することはできるが、それ以外には何の用途もないものであり、さらに言うと、父にとってはほとんど何の意味ももたないもののように思えた。それは写真が動きをとめてしまうもの、持続している時間を切断させるものだからということが大きかった。写真ももちろん何らかの記録であることはまちがいないのだが、それだけでなく、あるいはそれ以上に、静止したイメージに変えてしまう。変換してしまうという実感が強かった。
 だからだろうか。写真を撮ることは父と関わるうえでは必要のない余計なことであり、やらなくてもいいことをわざわざやっているという感覚があった。それは、写真を撮るために、普段の生活をいったん中断し、撮影のための時間を設けたうえでポーズを取ってもらって撮影する場合にはわかりやすくそう感じたし、あるいはわざわざいったん止めてポーズを取らない場合、何かをしている父(それは具体的に何かをしている、たとえばご飯を食べたり、歩いたりしているときだけでなく、何もしていないと言われるようなただテレビを見ていたり、寝ていたりしているときも含む)にカメラを向けてシャッターを切る場合でもそう感じた。

P92

 今から振り返って、父と私との個人的な関係において、父の写真を撮るということが一体何だったのかを考えてみると、それは同語反復的な説明にどうしてもなってしまうのだが、「父をイメージに変換する」ことであり、「父という人をイメージになるものとして眺め、関わる。そういう関係性が父とのあいだに生じる」ということだった。そして、それはさらに言うと、「父をイメージに変換したもの」、つまり「父の写真」とのあいだに関係性が生じるということでもあった。それらを全部ひっくるめて、「父の写真を撮ることによって、イメージの領域での父との関わりが生じるようになった」という言い方もできると思う。
 すでに述べたが、私は父の写真を撮り始めてしばらくのあいだは、写真を撮ることは父と関わるうえで余計なことのような気がしていた。しなくてもいいことをあえてしている、そんな感じがあった。自分がそんなふうに感じていたのは、父の写真を撮ることはイメージを介して父と関わることであり、そこには目の前にいる生身の肉体をもった父をどこかでないがしろにしてるような感覚が伴ったからだった。イメージを介して関わるなんてことはそれまでの父との関係においてはなかったことなので、慣れないことであり、どのように理解すればいいのかよくわからなかったのだと思う。
 私は父に向かって「これからどうするのか」「何が原因でこうなったのか」等々の問いかけをさんざんおこなっていた。それはつまり、私は父という人間について何らかの理解を得ようとしてそうしていたわけだが、それは言い換えると父に対して「この人はこういう人だ」という判断を下そうとすることでもあった。私は判断を下すために問いかけをしていた。ただ、いくら父に問いかけても答えは返ってこないので、問いかけることは判断の欲望を落ち着かせる方向には向かわずに、むしろさらなる問いかけや判断の欲望を煽ることになった。
 一方、父の写真を撮ることは、問いかけるというやりとりとはかなり趣向がちがった。写真を撮る場において問題になるのは、父がどういうイメージになるかということ、つまり父の見え方、イメージとしてのあらわれ方が問題なのであって、父が何を考えているのか、いわば父の内面のようなものをわざわざ問いかけることにはならなかった。その必要がなかった。
 私にとって父の写真を撮ることは、言葉によるやりとりを休止させるもの、問いかけをストップさせるものとして機能した。写真という場においては、私は問いを投げかけるようなことはせずに、距離をとったままに、父を眺めることができた。
 写真を撮るときには父と物理的に同じ空間を共有するわけであり、実際に対面するということが必ず起こるわけだが、心理的にはむしろ父から距離をとれるのだった。写真を撮ることによって、ちゃんと関わらなくてすむというか、とりあえず会って写真を撮るだけでいいという別の関わり方ができるようになった。
 写真を撮るには対象とのあいだに必ず距離が必要なわけであり、写真を撮ることは対象との関わりや接触よりもむしろその距離こそが問題となる。父の写真を撮ることは、父を撮ることであると同時に、その距離を撮ることでもあった。

P99-101

 父の写真を撮ろうとすると、父のことをファインダーごしにも、肉眼でもよく見ようとすることになるのだが、それは父という人間についての関心に支えられているというよりも、むしろイメージ化することへの関心に支えられていた。そして、イメージ化への関心が高まることは、父その人への関心はむしろ薄くなっていくことにつながっていった。写真を介在させることにより、いちいち問いかけたりせずに、ただ見続けることが可能となった。それはいわば、判断を下さずに見るということ、見ることに留まることでもあった。
 問いかけているとき、つまり父に何らかの判断を下そうとしているときにも父のことを見てはいるのだが、それは観察とも言えるような見方であって、見ることによって何らかの意味を引き出そうとしていた。見ることは、何か意味や答えを引き出すための下準備のようなものであり、見ることは手段であって目的ではなかった。
 では、写真の場合は見ることが目的になるかというとそういうわけでもなかったりする。写真の目的ということをあえて言うのであれば、見ることよりもむしろイメージに変えてしまうことであって、見ることはそれに付随することのような気がする。
 写真を撮る上では私は父に対して実際に何らかの判断を下す必要はなくて、何も答えが出ていなくてもどこかのタイミングでとりあえずシャッターを切ればそれで事足りる。父にカメラを向けてシャッターを切れば、私が父に対して何らかの判断を下していようがいまいがそんなことはおかまいなしに写真というものは勝手に撮れてしまい、父の写真は出来上がってくる。
 もちろん写真を撮るときにも、「ここでシャッターを切る」という判断を、つまり、「今、目にしているものをイメージにしよう」という判断を下してはいるのだが、それは言葉によって導き出そうとする判断とはかなり質がちがうものだ。何も考えなくても、何も決定しなくても、シャッターを切ることはできる。すでに撮るべき写真が完全に頭のなかにあり、それを具現化するために完全にセットアップして撮影するという場合であれば、また話はちがうのかもしれないが、基本的にシャッターというのは「とりあえず」切られるものだと思う。

P101-104

 極端なことを言うと、別に父のことをよく見ていなくても、父の写真を撮ることはできる。見ることと撮ることは実はまったく別のことなのだろう。撮ることは見ることなしに成立する。父のことをよく見なくてすむように、父の写真を撮っていたと言うこともできるだろう。シャッターを切るというのは、見ることをそこでとりあえずいったんやめることでもある。その場で見ることをいったんやめて、あとでイメージとして見るために写真を撮る。そんな言い方もできる。
 写真を撮っていると、父が何を考えていようが、何も考えていまいが、あまり問題ではなくなっていった。それはある意味では、父という人間に対しては無関心になっていくことでもあった。写真さえ撮れればもうどうでもいいような心持ちになっていた。

P104-105

 2009年8月にいなくなった理由について訊いてみると、父は「あのときはたしか」と言いながら、その1年前、2008年9月の失踪のときのことを話し始めた。「いや、それは2008年のことで、さらにその1年後、自己破産の手続きが完了して、これから家を引き払って引っ越しをしようというときにもいなくなったでしょ」と言っても、父はうまく思い出せないらしかった。そのときの記憶を完全に喪失しているというわけではなくて、スナック「カサブランカ」で私に発見されたことは覚えていたのだが、「じゃあ、その前の数日間はどこで寝泊りしていたのか」と訊いても父は答えられず、それがいつのことなのかも父のなかではあやふやでよくわからなくなっているのだった。
 父は「そんなことあったっけ」と言った。私は笑うしかなかった。父もさすがに申し訳ないと思ったのか、なんとか思い出そうと宙を見つめていた。私はその顔を見ながら、「何も期待してはいけない」と思った。思い出せない父が愚かなのではなく、他人に何かを尋ねてその人から「本当のこと」を取り出そうとしていた私が愚かなのだと父の顔は告げていた。
(中略)
 父がいろんな人に(とくに私に)迷惑をかけたにもかかわらず、自分が行方をくらませたことを忘れていたことに対して、私は怒りのようなものは感じなかった。私が感じていたのは、むしろ尊敬や畏敬の念に近い何かだった。積極的に父みたいになりたいと思ったわけではなかったが、こういうやり方もあるんだなと感心した。感動したといってもいいと思う。

P150-151

 問題は気安さなのだろう。そして、その気安さは、私たちが親子であるということが大きく影響していると思う。親子関係は所与のもの、すでにあるものであるがゆえに、他の関係と比べて、なんで関わるのかということを考えなくてすむ、気を遣うことが少なくてすむ、というのはある。
 でも結局のところ、私たちがたがいに気安く関われるのは、親子関係どうこう以上に、父と私の二人ともが、「親子たるものはこうあるべき」みたいなことを相手に押しつけたりはせずに、相手のためにできることがあればやれる範囲でやろうという親切心はもっているという、そういう個人的な資質によるところが大きいのだろう。

P255

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