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【ハエ取り紙の教訓】後編

数日前にこの状態を発見して
今日このハエ取り紙を捨てようとして、
死んでいるものと思って
つついてみたところ、、、

なんと動きました😮

バッタは死んでましたが、
ヤモリのほうは生きてました!

そこで助けてやることにしました。



そこで前編に続いて
もう一つ思ったんですけど、、


「浦島太郎に似てるな」と



浦島太郎のおとぎ話ご存知だと思いますが、

この話は、
「浦島太郎は亀🐢を助けた善人」
「浦島太郎のようにいいことしなさい」
と思っている人がほとんどだと思いますが、

実は違うんです❗️

浦島太郎は漁師です。
生活のために、釣り竿で何千何万という魚🐟を獲って(殺して)きました。

それをたった1匹のいじめられていたカメ🐢を助けたからと言って、善人と言えるでしょうか?

カメを助けた場面では善人でも、
魚を釣っている時は殺生罪を犯す悪人😈です。

仏教では、すべての生物は同根と言われているので、
カメも魚も、人間も虫けらも、同じ命なのです。
生まれかわり死にかわりして
色んなものに生まれています。
輪廻転生(りんねてんしょう)とか流転輪廻(るてんりんね)と言われています。


悪ばかり造り続けの者が、たった一つ善をやったことを鼻にかける、、、
こういうのを
ニセの善【偽善】
ニセの善人【偽善者】
と言います。

だからといって、一つの善もやらなくてもいいのかというのは間違いです。

一つの善をやったらその分の善果が返ってきます。
だから、浦島太郎は龍宮城に行けたのです。

しかし、
その善に自惚れている間に
あっという間に白髪のお爺さんになってしまいました。


私たちも同じなのです。

いいことはたまにするけど、
悪は数え切れないほどやっています。

殺生罪一つとってみても
殺した動物の肉を食べることは
直接殺したと同じ悪業ですから。


私のこの事例を考えてみると

ハエ取り紙を吊るすということは
小蝿を殺す、ということ

ヤモリは本意ではなかったとして
助けてやっても
浦島太郎と一緒なことです。

(それに、もうこのヤモリは助けてやったとしても相当弱っているので生きるのは簡単ではないでしょう)


だからといって、
浦島太郎に「魚を釣るのはやめなさい」
ということのできる人はいません。

魚を釣らなければ浦島太郎さん自身が生きていけないからです。

どんな人も本当の善のできる人はいません。

その上で、
親鸞聖人のいう「悪人正機」ということが知らされるのです。

本当の自分の姿を知ってでなければ、
何によって幸せになれるのかがわかりません。

それはちょうど、
自分が何の病気かわからないでは
治療ができないのと一緒なことです。


この話を聞いて
思うところがあればコメントください。
異論反論大いに大歓迎です。


関係ないコメント(ただの挨拶とか)はうれしくないです


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