母親に資格なんてない。ましてや「母親なら〇〇をすべき」という資格要件なんてない。

はじめまして。先月第一子を迎えた、東京住まいの共働き母です。
生後1ヶ月の息子の寝息を聞きながら、今初めてのnoteを書いています。

ちょっと前提情報になりますが、私は基本、面倒くさがりで、楽したがりです。
嫌いな言葉は「努力」と「忍耐」。
根性も気合いもないし、体育会系と無縁の人生だし、1日3食とおやつを食べて7時間寝ないと生きていけない。

さて本題。そんな私が、先月母親になりました。
で、自分の中に存在する、ある「心の声」に、ちょっと悩まされています。

その心の声とは、

「この私が、母親になる資格あるの?」

というものです。

母親ってやっぱり、自己犠牲の精神と共に語られがちですよね。
食事も睡眠もろくに取れない産後。泣きながら続ける母乳育児。ママ情報誌やネットの記事も、母親は精一杯頑張っていることがデフォルトな文脈で語られているものばかりです。
母親っていう存在そのものが、「努力」「忍耐」するものだという考え方が
当たり前になっていますよね。

なので、その「努力」「忍耐」アレルギーの私が、
それらが資格要件になっている「母親」という役割を担おうなんて、無理なんじゃないか。いやでも実際、もう生んじゃったし…
こんな思いが頭をよぎり、プレッシャーに押しつぶされそうになるのです。

母親になる資格。
そして、「努力」や「忍耐」という資格要件。

でもねでもね。

そもそもこの資格要件が、私ちょっと違うと思うのです。
「社会人」の要件が「会社に週5通っている」「スーツを着ている」ではない。それは単なる(しかも時代遅れの)イメージ。
それと一緒で、「母親」だって「母親たるもの、00すべき」という要件なんてない。そもそも母親って、資格じゃないんだから。

だから、世間一般で語られている「努力と忍耐」で母親像を成立させる必要はない。お母さんだって、色々いるんです。

息子がなんだか臭い(うんちだなw)ので、今日はこの辺で。
今回は、私の中の危険な心の声について、シェアさせていただきました。

母親やってるひとが、努力と忍耐しなくて良い
こんな世界になりますように。

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