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また春に会いましょう

このタイトルでピンと来る私のお客様は多い。

私の永遠の想い人、Xのhideが遺してくれた楽曲の歌詞。
類は友もお客様も呼んでくれて私のお客様はX好きな方が多くて嬉しくて震える。

桜が咲き始めるとこの曲を聴き始め、彼の命日の5月2日を迎えるのが毎年のルーティーンになってる。

1998年5月2日。

hideが亡くなった時、私は19歳で社会人だった。
突然のことに衝撃を受けて、職場に
『大切な人が亡くなったので忌引をお願いします。』
と申請した。
『お身内の方?』と聞かれ
『身内より大事な方です!』と答えたが却下された。

今となればそりゃそうだろと思うけど
19歳の私はそれはそれは大人を恨んだ。

13歳でXと出逢い、43歳になっても変わらず大好きなのだけど、この『好き』のパワーはすごい。

Xの歌詞が英語が多く、何を伝えてるのか理解したくて学校の宿題を終わらせてから
毎日夜中まで全ての曲を和訳した。

日本語も解らない箇所もあり、さらに意味を調べるということを続けた。

13歳は『白日夢』も知らないし
『閉ざされた愛に向かい叫び続ける』想像も出来なかった。

Xと書いたノートはすぐに埋め尽くされた。

ここで気になることはとことん調べるというクセがついたのだと思う。

hideの書く歌詞の独特な言い回しの虜になり
どうやったらこんな言葉が出てくるのだろうと
色んな本を読んで語彙力を増やそうとした。

『雨のち晴れを待とう ほら君の涙を食べちゃおう』


涙を拭くではなく食べちゃう発想に心底惚れ込んだ。

お陰で営業職で言葉になにより気をつけ
色んな言葉を使い回すようになった。

hideが言った

『死ぬ気でやれよ。死なねぇから。』

この言葉で私は相当ストイックに生きるようになり

『好きなものを好きと言うために他を貶(けな)す必要はない』

この言葉で自分の『好き』に貪欲になった。

『好き』な気持ちは何よりも自分の原動力となる。

hideが好きすぎて中学生の時に部屋を360度切り抜きで埋めつくした。

遊びに来た友達が『どこ見ても目が合って気持ち悪くなってきた…』と退室するような完璧な自己満足な部屋だった。

そこから自分の部屋は自分にとっての
『パワースポット』にするんだと決めた。

何が好きでも、誰を好きでも、他人に気を遣う必要も恥じる必要もない。
『好き』から始まるパワーは天才とオタクは紙一重だと思える程の詳しさになったりする。

ちなみに私の弟はいい歳をしてアイドルが好きで
見ていて清々しい程に堂々と活動している。

自分の『好き』は何かを始める強い原動力。
『好き』は人生を鮮やかにする。

そしてその『好き』は周りの人への気付きにもなる。
知らなかった世界を知るキッカケになる。

hideが音楽を好きになり発信したことで
私はhideを知りそこから色んなことに興味が湧いて今に至る。

なぜこの投稿を書いたかと言うと最近連続して聞かれた言葉がある。

『自分は何がしたいのか解らない。』
『自分の夢とか解らない。』

これはまず自分の『好き』を見つめ直すところからだと思う。

私はhideが好きでギタリストになれたわけではない。

好きを発見してそこから色んな好きが枝分かれして、ただのヴィジュアル好き女子が起業した。

例えば小さなこと、『この入浴剤が好き』からでもいい。
自分の好きをいっぱい発見して、自分にもっと興味を持って、自分の笑顔を増やして欲しい。

今年も厳しい冬が終わって花が咲き誇る
美しい春が来た。

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