久々の再会に人々が求めるもの

やっぱりこの時期といえば、忘年会や新年会のラッシュ。一部では#忘年会スルーがトレンド入りしてはいたけれど、一歩会社の外に出れば馴染みのグループや帰省の折に、なんだかんだで杯を交わす人が多かったのではないでしょうか。

久々の再会をはたすと、いつも思うことがある。それは変化を語り合うか変わらないものを語り合うかって、本当人によるよなということだ。
僕は今26歳。群馬の片田舎から大学時代に上京してきて、社会人歴でいったら間も無く5年目になる。たかが26年でも、すでに久々の再会に求める価値観が大きく分かれていることは強く感じている。

多分だけど、最終的には多くの人が変わらないものを語り合う方向に収束していくんだと思う。長い人生、年を重ねるごとにどんどん1再会あたりの変化量って小さくなっていくだろうし、振り返ることができるシーンは増えていくのだから、なんとなく想像がつく。
この語り口からお察しの通り、僕は断然変化を語り合いたいと思っている。久々の再会で、前に会った時からどのくらいお互い変わったんだろう。それはもちろん仕事のことばかりじゃなく、結婚した、子供ができた、引っ越すことになった、そんな生活の変化だって嬉しい。それに伴う価値観の変化を聞いたときが一番テンションが上がったりする。(これは人事の職業病?)

価値観の二分自体は、思えば中学校を卒業したあたりにはもう始まっているような気がする。「中学の頃に戻りたいな」「高校の頃は楽しかったな」そんなセリフはなんだかんだでずっと耳にする。その度に「今が一番たのしいけどなぁ」という気持ちになる。これは純粋に、どっちが良い悪いとかではなくて、先に挙げたとおりにどっちの価値観にいるのかという話なんだと思う。実際、そう語り合う姿はめちゃくちゃ楽しそうで正直羨ましい。

あとはもう、見方を変えれば「変わっていくことが良い」と思う僕の価値観は「変わっていない」ことなので、それはそれで、何かしらの懐かしさや安心感をここに求めているんじゃないかとも言える。きっと対岸から見たら、変わっているつもりの自分は、昔から全然変わっていないんだろう。

そんなことを二日酔いの頭で思いながら書きました。
なんであんなに紹興酒飲んだんだろう。とりあえず楽しかったのでなんでも良いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?