この度、稼ぎ始めようと思います。
これまで私の生活では、リターンを前提として何かをやるということを極力排してきました。もらわないと不自然な場面では対価のようなお金を受け取ってきましたが、基本的な構えとしては、提供-対価という構造から漏れ出して生きてきました。
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仮に、商品の生産-対価という構造のやり取りを起こすために働くことを「稼ぐ」と言うのであれば、今回、稼ごうと思います。例の布です。布を儲けさせて頂きます。
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頂いた布は、作品制作に使います。作品の糧になっていくのですね。その作品は、お布施するものにしようと思っていますので、布が作品に化けても、無価格です。ですが、布を稼ぐと言ったので、私が行うことに対して、対価が発生するというケースが出てきます。提供するものに対して、布は貨幣になり、交換という原理に乗ることになります。布そのものが価格そのものにして、私の何かと、うやむやな交換をしましょう👍
交換しても、布は解体され、糸になり、作品の糧になり、ふたたび交換不可能な流れに投じられていきます。
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こちらから提供できるものは、
1対1でのお話の時間
イベント登壇やお話会での話題提供
贈与などに関する企画の壁打ち相手
などです。
流れが大事なので、自分が気乗りしないものは難しいです。
お気軽にどうぞ!稼がせてくれ!!
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とはいえですね、
これまで、【提供してきたもの】は基本的に価格がなく、つまり価格から逸脱した時間を生きるモードでダダ漏れになってきました。
つまり、布を返さなくても、受け取れてしまうのですね。
布を用意してなくても、受け取ることができてしまいます。普段から溢れているものですから。溢れない時には、出ないので、常ではありませんが😆
払ってないのに受け取れてしまうのは、お得なんでしょうか、お徳なんでしょうか、それとも、アホなんでしょうか、何でしょうか。
逆に、私は布をいただく生活をしています。布を稼がなくても、「風呂敷が200枚あるけどいる?」と言われている状況でして、そういう意味では受け取るという見込みが増殖して仕方がない状況になってまして、わざわざ意気込んで布を稼ぐと言わなくても、もう満たされているのかもしれません。
なんなら、見込みが発生した時点で満足してしまっているんですね。
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しかし、作品制作に関しては、これから開けていくしかありません。前途多難です。しかも、またもや作品を価格決定のプロセスから引き下ろすことを考えているので、いつまで経っても儲からない。自分のこじれに翻弄されているんですよね。
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こうなってくると、提供するものは、遊びの一種なのかもしれません。布の流れを呼び込むための回路の一つで、やってもやらなくてもいい。創作はやりたいから、やる。それを続けるためには、募る。三浦祥敬の生態系のバリエーションが豊かに育ってきているのを感じています。
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ということで、商品の購入のお願いというよりも、遊びのお誘いでした。
OFUSE Experiment にどうぞご参加くださいませ😌
※ 布払いはローンを組んで、月々の支払いが可能です。1枚から組んで頂けます。どれだけの量を払うかは、あなたが決めてください。布を細く切って、枚数を増やすと、支払い能力をアップできる、かもしれませんね。
※ 私は布でなくても喜びます。生活の糧としての食べ物や食べる機会を贈って下さったり、紙(日本銀行券)や硬貨(金属)を渡すと、それも布の流れとして勘違いして受け取る技術を日々磨いております。