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2年以上前、吉野の KAM INN というお宿に滞在していた。KAM INN の女将は山伏でもある。KAM INN ではたくさん影響を受けた。KAM INN と女将、吉野がなければ、今の自分の「巡礼生活」の流れも起こらなかったと思う。

さて、その KAM INN で、印象的な出会いがあった。出会ったのは、山口からやってきた狂言師の方々だった。KAM INNの女将を訪ねに来てらっしゃったのだけど、たまたま夜、お宿でご飯を食べることに居合わせた。何を話したかよく覚えていないけれど、とても楽しかった思い出が残っている。詳細はおぼろげでも、印象ははっきりしている。

その会話の中で、お二人(親子)のさらに一世代上のおじいちゃんの話を聞いたのだけど、その方の言葉が痛烈に刺さったのを覚えている。おじいちゃんは「惜しむな」とよく言っていたらしい。

惜しむな

この時の夜ご飯で覚えた言葉はこれしかない。しかし、結構なインパクトがあったようで、後におこない始めた OFUSE の巡礼の際にも、その言葉は時々リフレインしてきた。

その言葉で影響を及ぼそうなど、そのお二人は思ってもいなかっただろう。さらには既に無くなってしまったというというおじいさんも、2021年の私に影響がおよぶとは微塵も思っていないはずだ。

ちなみに、その時、私は空揚げをして、食べてもらったらしい。全く記憶に残っていない。

さて、今回、山口に来ているのだけど、山口でお二人に再会することができた。今は布集めをやっていて呼びかけがあったところを訪ねるスタンスで移動している。だけど、今回、ようやく山口の地を踏むことができた。縁整うとはこのことだ。

福岡の博多にいる時に、「今日か明日か、山口に寄れるのですが、タイミングがよければお会いしましょう」と送った。移動している時、基本的に突然連絡を送る。自分自身も自分が数日後にどこに行くのかわかっていないから、数日後の予定も手放している。

連絡に対して、次の日に連絡が返ってきた。「会えますよ。」と好意的な返信だった。私は博多にもう一泊だけして、山口に会いに行くことにした。お金を募った結果、18切符を手に入れることができたので、鈍行列車であれば、山口にも行くことができる。そうして、山口市にたどり着いたのだ。

※ 以下、息子さん=Tさん / お父さん=Fさん

ひさびさに会ったTさんはお元気そうだった。まずご飯を食べに行くことになって、知り合いがやっている喫茶店に向かう。私が山口市でやりたいと思っていたことは、山口情報芸術センター・YCAMに行くこと。そして、お二人に会うこと。これだけだった。後は、流れ次第で滞在することにした。

喫茶店で、お話を聞きながら、とんかつが乗った喫茶店の定番の定食を頂いた。たまたまTさんのことを知っている方が喫茶店に来ていて、その方も入れて世間話しながら、ご飯を食べる。所持金は0リセット間近で全く手元には残っていないけれど、Tさんの「惜しむな」に助けられて、ご馳走になった。

喫茶店の後はYCAMへ。展示を見た。食と倫理についての展示がつい最近にスタートしたところらしい。見終わった後は、山の道を車で運んでくださって、お二人のご実家にたどり着いた。

車が簡単に脱輪してしまいそうな細い道を器用に登っていく先に、お二人の実家があった。着くと、猫が出迎える。お父さんのFさんは山に行っているということで、家には居なかった。Tさんと一緒に再度車に乗ると、Fさんがいそうな場所に向かった。

「おお、久しぶりじゃの」

Fさんはお元気そうだ。そこにも猫がいて、猫ハウスが立っていた。山はいちおう行政的には”牧場”ということになっていて、Fさんはそこを「猫牧場」と笑いながら話していた。猫牧場はとっても広くて、保有している山がひたすらに広がっている。確認できた猫の数は2匹。出てこなかった猫の存在も含めるともう少しいるらしい。

他愛もない話をしながら、猫牧場でふきのとうやしいたけを採取するFさん。私もしいたけを採取させてもらった。ふきのとうは春になって、自生して生えてきているもので、しいたけはFさんが試行錯誤して育んでいる。ドリルで小さな穴を開けた木にしいたけが生えてくる菌の苗床を詰めて、時間が経つと立派なしいたけが育ってくる。重要なのは風通し、日差し、置き方などの諸条件の中でバランスの良いところを見つけることらしい。Fさんは、しいたけを採りながら、ぼそりと「自然はいいぞ。人には迎合しない」と話していた。ここにもナチュラルなアナーキーを観測した。

またTさんの車に乗って、ご実家に戻る。部屋に上がらせてもらうと、思った以上に猫がいた。その数5匹。お茶を頂きながら、他愛もない話をしていると、猫の1匹が膝の上に乗ってきた。なんとも人懐っこい。普段は初めての人にそんな感じで接することは少ないみたいだが、そんなことを言われると、こちらも嬉しくなる。いかんいかん。「あなたが特別だ」という謳い文句に勘違いしてきた人がこれまでにもいたに違いない。社会においても、同様のことが起こっているだろう。魔性の猫だ。

Fさんが帰ってくるまでの間、Tさんと話をしていた。Fさんは、しいたけを販売所?かどこかで売っているらしい。しかし、普段から「しいたけを売るなんてもったいない」と言っているらしいのだ。なんでもかんでも商品になる時代に、「売るなんてもったいない」という言葉の真意が気になった。山の民が家に帰ってくるのを待つ。

しばらくすると、山の民がたんまりと採れたしいたけを携えて帰ってきた。ビールが出てきて、一緒に飲み始める。ふきのとうとしいたけはキッチンに運ばれ、天ぷらになって出てきた。肉厚のしいたけは噛んだ瞬間に野趣あふれる香りが広がり、とても美味しかった。アナーキーな民の作品を堪能させていただいた。

お酒も天ぷらも、その他諸々の料理もどんどんやってくる。畳み掛けるように山の恵みが胃をノックしてくる。お腹いっぱいになった。なんと幸せなことだろうか。

Fさんはたんまり採れたしいたけをお土産として持たせてくれるのだという。その分量は小箱1個分。おかげで今、しいたけが手元に溢れ返ってしまっている。私は頂いたものは、ほんの少し自分で頂いて、出会う人たちに巡らせていくのだけど、今回はもうしっかりと食べさせてもらった。だから、しいたけは全て、ここ数日で出会う方々に配り切ってお渡ししようと思う。惜しむなの流れから起こることは、惜しむな、なのだ。

おじいちゃんの話が何回も出た。おじいちゃんは口数が多くなく、無駄なことは話さないタイプの朴訥とした方だったのだそうけど、「惜しまず、命以外はやってしまいんさい」と言っていたらしい。だからといって、抜群にお金を持っていたというわけではなくて、普段からマタギとして山に入り、ウサギをとろうと山でじっと潜んでいたそうだ。それだけでは生活できないから、トマトの栽培もしていたそうで、それは一部売っていたらしい。おじいちゃんのあり方に、FさんとTさんの流れの系譜を感じた。山からの流れが起こっている。

0円リセットを繰り返しているからといって、常に惜しまず巡らせているかといえば、そうではない。自分の惜しむ心と地味に地味に付き合っている。「惜しまず与える」というあり方以外にも人間の営みのあり方にはいろんな形があるだろうし、「みんな、惜しまずに分かち合うべきだ」というところまでは私は主張しないのだけど、惜しむなの系譜から学べることは多々あると感じている。

少なくとも私は、おじいちゃんを参考にして、もっと踏み込んで生活してみてもいいと思った。自分なりの形で、惜しまずやっていってみようと思う。そして改めて思うのは、惜しまず与えて下さる方々がいて、自分の生活があるということだ。自分のところで流れを調えてしまうのはもったいない。流れを増幅させて、遊ぶのだ。それくらいでちょうど良い。

そう思いつつ、ほろよい気分で泊まらせて頂く部屋の布団に転がり、眠りについた。

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