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【参加のお誘い】お坊さんとは、どうあるべきか?

*対話会にゲストとして呼んで頂きました。(※主催ではありません)*

今年になってから、「出家」についてよく考えるようになりました。なぜかというと、昨年、社会的に”出家という儀式"を行ったわけでもないのに、お布施を頂き、お布施する巡礼生活を始めたところ、とても出家的感覚を感じる生活になりました。それで改めて「出家って何だろう?」ということを深ぼってみようと思い、仏教学者・佐々木閑さんの出家論に学んでいます。

前回、出家について書いた文章はこちらです。

さて、現在の自分自身の立ち位置の取り方は、"仏門に出家をする"というものよりも、"自分なりに必要だと思うことを日々の実験していく"というあり方に支えられています。

お布施も"仏道修行をしている"というよりも、"道"を深めていく遊びであり、実験をしているという意識でやっています。古代インドでは、お釈迦さんが修行に入る前から"出家者に一般の方々がお布施する"という慣習が成り立っていたようです。それを知るまで私は「お布施は仏道の修行だという認識」を持っていたのですが、今は少しニュートラルに、お布施という言葉を介して「与えること」にまつわる実験をしているという感覚で日々を過ごしています。ちなみに、お布施のルーツの一つは、古代インドの言葉であるサンスクリット語の「ダーナ」に由来すると言われています。ダーナの意味は「与えること」です。派生した言葉に、旦那やドネーション(Donation)や檀家などがあります。

さて、こんなことを考えていると、「お坊さんとは何者か?」という話になってくるんですよね。仏門に出家した人が、お坊さんであるのか。その解釈は、これまで生きてきたお坊さん仏門という出家世界を積極的に支えてきた方々、そして、積極的に支えていないけれど、その世界を認知してきた方々によって多様に展開されてきたのではないかと思います。

特に私たちは、古代インドに興り、東南アジア、東アジア、そして日本と、現地の習俗と相まりながら変化を続けてきた"変遷"の余波を受けて、日本の仏教というかたちでありがたく享受しています。とはいえ"日本の仏教"と一つに括れるものでもないと思います。そういう状態であるにもかかわらず「お坊さんとは何者か?」「どうあるべきなのか?」という解釈を安易に固定化させてしまうことは、必要ないと思っています。

では、「お坊さん」について考えることは意味がないのか?というと、逆にそうでもないと思っています。この社会の中で生きる道を見出していく時に、世間で言われている解釈、宗派で語られている解釈をいったん脇において、自分はどう考えるのかを見出すことは力になります。(その解釈を手放し、見出し直し、手放し、そのプロセスは永遠に続くと思いますが)

私にとってのお坊さんは、「"あるべき"をほどく生きる技法を深めながら生きていこうとする人たち」の総称です。生きる技法はさまざまで、音楽的なものもあれば、経済的なものもあれば、芸術的なものもあれば、"仏道的?"なものもあると思います。

さて!

つらつら書いてきましたが、私のお坊さん観は、現在の視点の凝り固まりにすぎないので、またかなぐり捨てていけたらと思っております。

*** ここから、お誘いです ***

今回、急な開催ではあるのですが、TERA WORKさんというプロジェクトの方々がお声がけくださり、TERA WORK SCHOOLというお寺に関わりがある方々が自己のあり方と生き方を考えるプログラムの体験会にて、ほんの少しお話する機会をいただきました。

私がお話するのがメインではありません。参加者の方々が対話をする、その時間がメインです。私も楽しんで参加させて頂こうと思います。

対話のテーマは「お坊さんはどうあるべきか」です。みんなで和やかにヒリヒリする時間を共にして、遊びましょう!(つまりは他人事の話というよりも、自分と関わりがある話として、この話題を扱えたらと思っています)

詳細

日時:2022年10月31日(月)20:00〜22:00
お坊さんの「あるべき姿」ってなんだろう。みんなで対話して考える
ゲスト:三浦祥敬(「OFUSE Experiment」実践者)
ファシリテーター:TERA WORK SCHOOL事務局(水野綾子、田中勲)

さらなる詳細、および、TERA WORKとTERA WORK SCHOOLの主旨や参加方法の詳細は下記リンク先からご確認ください。

では!


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