【布の巡礼】 ジャッジせずに絵の具と指で描く時間。友達主催の創作ワークショップに参加してきました。
数少ない佐賀に住む友達のいちなさんが声をかけてくれて、彼女がコーディネートする創作の会に参加してきた。その内容は指で絵を描くというもの。1週間前くらいに「えいや」と実施することになったらしく、私に声がかかったのは2日ほど前の出来事だった。ちなみに「佐賀に来てるよ」と彼女に声をかけたのが4日くらい前なので、ポン、ポン、ポン!という感じで物事が起こった気がする。
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彼女は高校時代の同級生でもある。高校の時は単なるクラスメートだったという感じで、特段、仲が良かったわけでもない。ある時、「働きたくない!食べさせてほしい!」という内容の投稿をFacebookにしたことがあるのだけど、10年以上連絡のやり取りが無かった彼女がそれを見てピンときたらしく(笑)メッセンジャーで連絡をくれたのだった。
その後、佐賀に行く機会が生まれたタイミングで彼女と再会し、それから佐賀に行くたびに2、3度ほどお会いした。
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会った時に、彼女は時折「ダンスをするように身体を動かしながら指で絵を描くということをやっている」ことを教えてくれた。無心になって手を動かすことで、生まれてくる色彩をただ受け止めていくというプロセスが起こるらしい。
こうしなきゃいけない、こうつくるべきだ。
そういう声とは異なる感覚に身を委ねて描いていく時間だそうだ。そのプロセスにおける気づきを共有してくれた。そのあり方はどこか私が行なっているドローイングのプラクティスとも重なるところがあり、表面的に違っても、描く行為へのフォーカスと没入感という意味で、なんだか似ている所がありそうだと思った。
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さて、それからしばらく時間が過ぎて、今日の話だ。彼女の家でワークショップを実施するらしく、その場に行ってきた。高校の時には彼女の実家に遊びに行ったことはない。彼女が指で描くワークショップを行なってくれるからこそ起きた流れだとも言えそうだ。
今回のワークショップには他にも参加者が複数いた。保育士の方が3名、保育士の方のパートナーさんが1名、お子さんが2人、そして彼女の友達が2名という参加者だった。
私は皆さんが来る前に0次会を始めた。目の前の画用紙の上に絵の具を落としては、指で押し広げて遊んだ。最初は円を描くように絵の具を広げていたが、次第にしっくりこなくなってきたので、その上から塗り重ねるように多色の絵の具を重ねていく。
彼女がやっているワークショップは表出してきたものの良し悪しを測る時間ではない。出てくる流れを愛でていく。今回、特に予定もしていなかったが、やっているうちに爪で描くという行為が生まれてきた。人差し指の肉の部分と爪の間に絵の具がどんどん溜まっていき、気持ちが悪い。それはいつもは行わない描き方だ。基本的に普段の創作プロセスでは気持ち良い描き方を見つけようとするのだけど、今日はその逆だった。しかし、今日はその流れなのだ。気持ち悪さが生まれてくるという流れもまた受け入れていった。
しかし、気持ち悪さの中からいくつか収穫はあって、今後のドローイングの制作でやってみたいことが見つかった。気持ち悪さの中に”発掘した”と言ってもよいかもしれない、気持ち悪さの中にも、何かが生じてくる感覚が芽生えるのは、なんとも面白いものだと思う。
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そういえば、彼女は今回の指で描くワークショップを初めて行なったのだけど、彼女が一歩踏み込んでチャレンジしてみるという流れに立ち会うことができて嬉しかった。彼女にとってはかけがえのない出来事だっただろうし、私にとってもかけがえのない出来事だった。チャレンジする内容が大きなものであろうと小さなものであろうと、自分自身が「これ!」という身体感覚を中心に置いて「えいや」と表出させてみることには勇気がいる。その勇気を場という形にして開き、こちらが受け取ることができるような形にしてくれたことは大変ありがたいことだと思った。
ワークショップを初めて実施した友達のいちなさんへ。今日はおつかれさまでした。ありがとうございました!
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