毎日生きてるだけで、すげーよ、人間
10月末から11月の1週目にかけて、関東で知り合いの方とお会いした時に、ふと母親のことを思い出すことがありました。母親は23年の5月に亡くなりましたが、彼女が亡くなった時のことを思い出し、「人は死に向かって行進し、最後は分解されていく」ことを痛感しました。
誰しもが最終的には、空か海か土か分解されて散っていく。
そんなことを思った時に、
「終わりには分解されてしまうのに、毎日生きてるだけで、すげーよ、人間。」
と思いました。
日々を生き、生活の糧を得るために動いてみたり、創作や表現の模索をしてみたりする。
時には傷つけ合って、時には喜び合って、日々を暮らす。
地位も名声も評価も大切にしていたものも、この世に置いていくしかありません。それなのに、これほどまでに人が生きることができることが不思議でなりません。
ただ、こういうふうに考えても、私は虚無に落ちることがほとんどなくなりました。
どうせ死ぬから、安心して気楽にいこう。
どうせ生きてる意味なんて後々解かれていくから、大丈夫。
それくらいの感じで日々を過ごしています。
*
さて、しばし、九州アトリエに滞在していました。
今回の滞在では、パートナーの紗都子さんとの関わり方の変化を感じました。
関係性も同じように最後は分解されることしかなくて、生き別れるか、死に別れるかしかない。
でも、その終わりがあるから相手と過ごす日常が特別なものだと実感することができて、目の前のとても些細なやりとりが特別なものに思えます。
自分も相手も創作活動をするタイプの人間で、日々スタンスの違いからぶつかることも多いけれど、不思議と関係が続いていて、関わる以上、関わることをお祝いしながら、ゆたかに生きていきたいです。
そんな彼女は先日誕生日を迎え、一つ、歳を取りました。
めでたいね。
おめでとう。
いつもありがとうね。
「最近寒くなってきたね」
という言葉を交わすたびに、
不思議と心は温まる今日この頃です。
今日も命があって、生きることができて何よりでした。
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