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春に起こるお遍路の景色を見る

四国お遍路をしようという気持ちが生まれてきた。頭の中の私はすでに歩き始めていて、いろんな場面が生まれている。知らない方が泊まらせてくださる場面、野宿する場面、温泉に浸かる場面、知り合いの方に出会い直しご飯を一緒に食べる場面、足が痛くなって立ち止まっている場面、夕日を眺める場面など。体験していないのに、イメージが生まれている。そのイメージの素材になっているのは、これまでの巡礼生活そのものだ。

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朝起きて歩き始める。まだ朝は暗い。暗い中で起きるのは一苦労だけど、ほんの少し歩いていると、視界がくっきりしてくる。番所のお寺に着くと、別のお遍路さんとすれ違う。階段を登った先にあるお寺の背後の山はザワザワと木々を揺らす。光が差し込む参道を歩きながら、深く息をする。

お経を唱える。お経を唱えた後には、iPhoneからライブ配信をした。人が見てようが見てまいが、ひとまず続けてみるだけの配信だ。時々、応援してくださる方がいるのだけど、一つ一つのコメントは嬉しい。また、お遍路旅に参加している方々にもメッセージを打つ。北海道や東北、東京、関西。いろんな地域の方が参加してくれている。お遍路旅の一部を歩くことにしている人たち、遠くからお金を送って歩く人たちにご飯をご馳走したいという人たち、さらには、四国現地でお接待をしたいという人たちなどが参加者だ。全てを歩き切る人はほとんどいないが、自分ができる関わりで今回のお遍路旅に参加してくれている。

参加をするということは、具体的な身体を伴わない行為だ。応援すること、何かを贈ること、実際に歩くこと。実際に旅をすることだけが旅ではない。精神はいつだって旅をすることができるのだ。

とある時、15キロほど歩いたところで、京都から歩きにきた佐藤さんと合流した。佐藤さんはいつかお遍路を歩いてみたかったけれど、1ヶ月以上かかる旅に出るのは難しいと感じていた。しかし、今回、お遍路旅に一部だけ参加できるということを聞いて、この旅に合流することにした。何が起こるかわからないので、あれこれ持っていった方がいいだろうか?と悩んだ。寝袋や水筒、食べ物などをバックパックに詰め込む。大阪からのバスに乗り、徳島へ向かった。すでに歩き始めている人たちに追いつくために、電車に乗り、歩いている一行がやってくるであろう最寄駅に着いた。最寄駅は寂れてはいるが、こじんまりとしてかわいい駅だ。少し遠くに海岸があり、音こそ聞こえてこないが、海を身近に感じることができる。さぁ、歩くのだ、とソワソワしなが
ら、やってくる人たちを待つ。それぞれのお遍路旅がそれぞれの場所から始まる。

合流した後、2時間ほど歩いた。お遍路に来てみた理由は聞くけれど、普段のことには入り込みすぎない。口を開きたい時に、話す。それを受け止めるが、返事を返さないといけないわけではない。無言の時にも歩く音が静かに響く。

ご飯を食べたいと思っていたその時に、たまたまうどん屋さんを見つけた。うどん屋さんに入ると、地元の方々が食べている。お遍路さんも2人ほどうどんを食べていた。今日のご飯代は茨城の方から参加している石井さんが送ってくれることになっている。このお遍路旅では参加するかどうかに関わらずご飯の機会を贈ることができる。石井さんは以前お遍路をしたことがあり、今回の旅のことを知った時に、昔歩いたことを思い出した。仕事が忙しく、四国に行くことはできないが、食事の機会を贈ることができる参加の仕方があるということに面白さを感じ、参加した。ちょうど今日、歩いている一行がうどん屋さんでご飯を食べるらしい。仕事をしていると、「石井さん、ありがたくいただきます!」と写真が届いた。ただお金を送っただけにも関わらず、嬉しい気持ちになった。会ったことがないにもかかわらず、不思議な縁だと感じる。

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みたいな感じで、やりたいです。もっとイメージを具体的にしていきまーす。

今回、私は自分が歩くのは前提としてそうなんですが、全部と言わずとも一部参加する方々と一緒に歩き、遠くから想いを向けてくださる方々と一緒に歩きたいと思いました。

具体的にかたちにするために、まずは諸々リサーチしてみようと思います。お遍路旅という特性上、「こうなってしまった!!」という予想外のことが必ず起こると思いますし、計画しすぎて想定内に引きこもってしまうことはもったいないことだと思います。ですが、実際に行う時にたよることができる人や場所を把握していくことは大事だと思うので、まずは知るところから始めようかな。

正しさを求める旅ではなく、心がよろこぶ旅を。

楽しみになってきました😌


お遍路の企画の名前を決めました!
引き続き、Noteの投稿に書いています。


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