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音を楽しむ活動で言語活動を飲み込んでしまえばいいと思った

今日の一日のスタートはシンセサイザーを触ることから始めた。どれくらい弾いたかわからない。たぶん1時間弱のことだ。ずいぶんと遅く起きた。いつもはダラダラと外に出かける準備をする。今日は違って、真っ先に楽器に手を伸ばした。手が動く。ただこの鍵盤を押したら何の音が出るんだろうという好奇心を部屋に溶け込ませるように、目の前の瞬間に落ちていく。

指先からは沢山の音が鳴る。それは過去にピアノを練習していた時に染み付いていたものの名残でもある。優しい曲が好きだった。最後に弾いたのはショパンのノクターンやリストの愛の夢など。無数にあるクラシックの音の連なりから、そういう曲を選んできたのだろう。ちゃんとピアノの練習をしていたタイプでもないので、「あぁ、しっかり練習しておけばよかったな」と苦笑いしながら記憶を反芻している。

それでも今の瞬間に音を鳴らすことができることはできる。ごちゃごちゃでも弾くことはできる。そういうふうに無造作に適当に弾きながら、弾く心地良さを取り戻しているところだ。

この音は気持ちいいな。
この組み合わせは、んー。

そんなことをほのかに想いながら、動いている手を見つめる。ちゃんと弾かなければいけないという思い込みが音の中に溶けていくようだ。

今の葛藤を感じている。無造作に手を動かす中で楽しい。一方で、もっと楽しさの域を広げていきたいという思いもある。これが両立しないことのように思ってしまうことがある。

これまで技術を覚え、深めていくことを練習と呼んできた。でも練習はなんだか楽しい気持ちと分離されてしまう感覚もある。未来のために今は我慢だ、そう言われているような気がして、なんだか練習はしたくない、そう感じてしまう。

でも、一方で技術をつけて楽しさの域は広げたい。産みの苦しみというけれど、ただ苦しめばいいというわけではないし、弾くことが我慢にならないようなアプローチの仕方があるはずだ。楽しむこと、そして未来に生まれてくる音たちに波長を合わせ、それを体現していくプラクティスを深めていくことはできる。そうしていい。我慢に逃げ込むのではない方法をここ数年で開拓してきたのだから、それを存分に活かしていく時だ。

人生の中で大切だと思う瞬間は後回しにしてはいけない。そう思う。そういえば昨日、毎月2回やっている月待講の実施日だったのだけど、なんとなくピアノの音を対話の時間に勝手に入れてみた。月待講では一人一人、話をする時間がある。自分の番になった時に、ピアノの音と共に無造作なリズムを作りながら、話した。時には無言で音を鳴らした。何も話さず、音も鳴らさない時間もあった。どういう時間があってもいいのだ。無意識とはいえ、ピアノを触ろうとする自分を見つめながら、「あぁ、もう少し楽器を触りたいんだね」と自覚した。

月待講では起こることしか起こらない。どのような人生の只中を生きているのかというテーマ以外に、コンテンツはない。コンテンツはないが、集った人たちが語り、沈黙するということ、それ自体が豊かな時間だ。何もないところに想いを寄せるように、昨日の僕はピアノの音を持ち込むということが、やりたかった。もっと自分の近くに音を、いや、頭の中に流れつつある音を、自分の中に起こっていることとして、ちゃんと扱ってあげたいと思ったのだった。

最近は書くことが多かった。さらに話すことが多かった。言語活動が多めだった。別に書かなくちゃとも思うほどでもなかったし、むしろ文章は出てきてしまった。出てきては書く、出てきては書く。そういうタイミングだったのだと思う。自分でも気づかないほど過覚醒になっていた日もあって。気づいたら朝が明けていたという日もあった。それはそれでありがたい言葉の流れを感じることがいいのだけど、言葉を扱う人格以外も大切にしたいという思いが湧いてきている。

バランスをとりなおす。いつもはカフェに行き、文章を書くことから始め、時間が空いたら家に帰って音を触るという感じだ。今日は音を触ることから始めてみた。とても心地いい。言葉は後で感覚が先。改めて、それを自分という生きる時間の中に息づかせたいと思った。

ついつい大事なのに後回しにしてしまうこと。それをちゃんと先にもってきてあげる。それだけで日々の生活は色づくに違いない。僕は音が大事だと思うから、それを優先し、その時間を増やしていこうと思う。言語活動だと思ってきたものたちを、音を楽しむ音楽活動として飲み込んでしまえばいい。言葉はもともと葉のざわめきからきたものなのだろうか。サワサワと心の中で鳴る音のざわめきを捉え、音を発しながら、もしくは沈黙になりながら、活動していくという意味では、言語の働きも音楽に入れてしまえばいい。その間にいるような詩の活動も忘れない。手足を動かし生きる中で、ことばになるものがあってもいい、別の表現で出てくるものもあっていい。

大事にしたいは心が動くということ。日々生きるということ。たくさんの感覚で世界を感じて、言葉で、そして言葉だけでない回路を通して世界が表現されること。表現の探求はこれからだ。でも諦めず、粛々と、そして何より楽しくやっていこうと思う。

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