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領収書が精神内で大量発行された夜

この数日、私の心の中で地殻変動が起きた。「領収書」という言葉が心の中を飛び交っている。友達に、関わる人に領収書を送るという日常のルーティンが発生している。

私は自分自身の経済をつくろうと思ってこの数年模索してきた。それで結果的に着手したのが「布施」にともなう経済で、自分なりの布施の実験をしてみようと思って日々試行錯誤を繰り返している。お布施すること、されることの両方が生活の中で発生するのだけど、その実践の中であきらかに変わったのは、「受け取る感覚」が増したことだった。

領収書という話題だからといって、ここでお金に限った話をしようというわけではない。私は”お布施”という言葉を使う時には食べ物の受け取りの場面や、泊まる場所のご縁を頂く場面や布を受け取る場面などを思い出す。さらには、日光をあびて「気持ちいい〜」という体感覚を思い出すこともある。また、オンラインで仕事をおこなうこともそれに含まれる。それらのご縁は外からやってくるような感覚だ。日々、ありとあらゆるものを受け取っている。

「受け取る」心が醸成されていくにつれて、自分自身がこちらからさせて頂くことも相手なしに為すことができないならば、ある意味それは「受け取る」経験だと思うような認知の仕方になってきた。

受け取る体験を積み重ねていくと、心が満たされていくのを感じる。何度も何度も、心がブワッと開く感じがする。何度も何度もその回路に外からやってきたエネルギーが通っていくにつれて、その回路は大きくなっていく。電気が蓄電されるように、心に何かがたまっていく。そして外にその気持ちをお裾分けしていく。

外から受け取って、蓄積し、ご縁と共に外に放流する。気持ちが解けるような感覚に開かれていくこと、それが今の布施経済の身体感覚だ。

それで、話を「領収書」に戻す。

私は先月に幽玄会社テンプルを創業しますと宣言した。それは理想としては、気持ちが解ける創作と経済の回路づくりをおこなうもので、具体的には上限150人くらいからパトロネージュ頂きながら、10万円の定額の給料をいただき、溢れ出た分はひたすら創作する友達・知り合い・応援したい方々に流していくということをやりたい。

その時、領収書をひたすら発行できたらと思ったんだよね。

パトロネージュして下さる時に、お金の数値だけでなく、別の気持ちも同時に流れてくるし、こちらの方からも気持ちが流れる。そういう流れを観測した時に流れを受け取ったよ!ということを表明する時に領収書を発行したい。

逆に、手元に流れて来たお金を受け取ってもらう時にも、領収書を発行したい。その時、領収する金額は「マイナス」で、マイナスを領収することでめちゃくちゃ愉快な気分になってしまうと思う。

なぜだかこの数年、「会計」という言葉が重要だと思ってきた。私にとっての会計は「出会いをカウントすること」で「感謝する」ということに結びついている。その中心に「領収書」をおくということは、その流れからすると当たり前なのだけど、この数日でようやく腑に落ちた感じがあった。

この領収書のことが着想として心に落ちてきた時、私は同じく布施的な生活を営む友達と一緒にいた。そのインスピレーションが外からやってくるのか、それとも内からやってきたのかわからないが、めちゃくちゃいい感じの感覚が開いたので、その友達に領収書を発行し、すぐさま送った。その前の背景にあったのは、初めて「ボーナス」のようなものを頂くということが起こったことだった。ボーナスを頂くという経験をしたことがなかったので、たいへん愉快な気持ちになった。その気持ちをそのままに留めてはなるまいという直感が起こり、目の前の友達は突然の領収書を突きつけられた。領収書と共に、お金も送った。領収書の但し書きに、メッセージを書いた。外からやってきたものが増幅して、踊るように出ていく。そうそう、これが経済なんだ、というふうに思うに至った。

その出来事から一夜あけて、ボーナスを下さるという話になったか方にも領収書を送ることにした。少し緊張した。相手は企業活動をされている。相手方からは「〜という請求書を作成してください。お願いします」という連絡が届いていた。相手との関係は良好で、楽しくお仕事させてもらっているのだけど、とはいえ布施経済とか、マイナス表記の領収書とか、そういうものを企業活動している人に送っても大丈夫なのか?という気持ちが少しだけ湧いて来た。

しかし、ここでやるのは、いい塩梅、いい感覚を流すことだ。私が作った領収書は相手からのお金を受け取る前のことだから、本来はまだ作成する段になっていない。しかも、相手からは請求書を頼むという話をもらっているので、本来発行する必要がないものだ。しかし送りたい。送ってしまいたい。

そんなことを一瞬思ったが、送ってしまった。数分の余白の末、相手の反応を見るとなんだか喜んでいるらしい。領収することが喜びにつながった。領収書とはなんて面白いものだろう。今、領収書を発行したくて仕方ない気持ちだ。

領収書の発行のタイミングは受け取った時だ。生かされている経済では領収書を発行することがメインの仕事になるだろう。今日も領収書、明日も領収書、あぁ領収書をつくることで忙しい。あぁ忙しい。そういうふうに話す日も近いかもしれない。

ここまで読んでくださった皆さんも、ありがとうございます。どこの誰かが読んでいるかもしれないということを思うとありがたい気持ちになりました。ここに領収書を添付し、終わろうと思います。



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