月待講の徒然日誌(2/5)
2月5日は、4人で月待講を行いました。
月待講をやっていると、自然と、生まれることや死ぬこと。自然の摂理。自分のやりたいこと。など、さまざまなトピックに話が飛びます。
昨日出てきた話は、「死」にまつわることもポコポコと話題に登りました。
参加者の方が先日、知り合いの方と死別されたとのこと。
その言葉をもらって、どうしようもなく、「あぁ、死ぬのだなぁ」ということを想い、なんともいえない気持ちになっていました。
さらに、個人的にグッときたのが、そのことをその方が、「生まれ、死ぬこと、そのうつろいが美しい」と表現されていたことです。
うつろいの美しさ。生きることの美しさ。死ぬことの美しさ。噛み締めるように、大事に受け取りました...。
普段の回路とは、少し違う回路が開けるような感じがしていて、月待講を実施しながら、大事に場を編んでいきたいなぁという想いを改めて感じ直しました。
匿名化
月待講は、今回から、全員匿名で実施することにしました。普段の肩書きや社会的役割から降りてもらい、自分自身として声を出してもらうためです。
みんな名前の表記をZoomで「よみびとしらず」にしてもらいました。
よみびとしらずは、私は匿名化する時のマスクのように使っています。
よみびとしらずは、読み手がわからない歌につけられました。文字通り、詠み人がわからないという状態ですね。
もう一つ意味があり、時代性に対してクリティカルに物申す時に、あえて匿名で歌を残す時にも使われました。
本名を使うことは、リスクが伴うことです。
匿名だからといって、誹謗中傷すればいいというわけでは全くありませんが、それでも、こういう月待講のような場では、匿名で語ることができることを大事に、場を調えていこうと思います。
画面オフ
ここ数回は、画面オフで進行しています。全て、音声のみです。
画面を見るのも疲れるので、会ったこともない方々と、音声のみで対話しています。Zoomの場なので、clubhouseよりも忙しなくならないですし、むしろ、深く話すことができます。
深まっていく。
そして、最後には、言葉自体も発する必要がなく、それでいて、なんだか安心感が生まれる。毎回月待講の内容は違いますが、昨日はそんな質感でした。
次回は、2月20日の夜に実施します。次は何が起こるのか、楽しみです ^^
ぜひ、人生のうつろいを話しに、そして他の方々の人生のうつろいに耳を傾けに、お気軽にどうぞ✨
▼参加表明はこちらから
※月待講のLINEアカウントでも、参加用のZoomリンクを配信しています✨
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