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身体が動くのを、やめた

9月はひたすら休んでいます。

9月初旬にコロナ陽性になり、身体が動かなくなりました。安心して寝ることができる場所へたどり着いてから、約3週間くらい、ベッドの上でぐったりした感じで生活をしていました。(今は回復し、起き上がって生活しています)

思い出していたのは、ニート・無職として生きている友達たちの言葉でした。この期間、かけて頂いた言葉で一番効いたのは、こちらのメッセージでした。

みうらさん、だいじょうぶです。
XXX(友達)は毎日何の生産性もなく実家でダラダラしております。

今までしてきた経験は休んだって自分に沁み込んでるからさ、疲れたときは安心してダラダラしようぜ。

ダラダラも仕事のうち!

このメッセージをもらった時に、「あぁ、休もう」と素直に思えたんですよね。

もう一人、思い出していたのは、コロナ陽性が発覚する直前にお会いした、寝たきりの生活をしている方でした。

この方はほとんどの時間を部屋で過ごしています。車椅子等で病院などに行くことがまれにあるようですが、基本は室内のベッドの上で暮らしてらっしゃいます。

この方の話を聞きながら、私は、身体が動くということ自体がすごいことだと思ったんですよね。動けるというだけでも、なんと恵まれているのだろうかと。

この後、私は寝込むことになりました。

まさか、こんな早くに自分が動けない状態になるとは思っていませんでした。身体を動かそうとしても、動かないわけです。ぐったりとなりながら、意識もおぼろげで、しんどい時間が続きました。

幸いにも、TwitterとFacebookでお金を贈って頂けませんか?というプチSOSの投稿をしたところ、1、2ヶ月は安心して暮らすことができるお金を頂くことができ、金銭的にも安心して横たわることができていたのですが、そもそも動くことができないのは辛いですね。

動けなくなることによる葛藤を通して「動くべし、働くべし」という刷り込みがあったんだということに改めて気づきました。

動いてなかろうが、働いてなかろうが、息をしているだけで満点じゃないか。

それくらいのハードルの低さで生き、他の人が苦しい時には息をしているだけで受容できるくらいに心を広く持ちたいと思いました。

今ようやく身体が動くようになってきました。満点どころの騒ぎじゃありませんね。

でも、まだ動きたくない。働きたくない。
ということで、少なくとも今月は動かないことにします。

今日も息ができてよかった。

生きてて、ほんとよかったよ。


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