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お布施を観測すること、図と地の関係。

お布施の出納帳をつくり、記帳し始めてから1ヶ月経ったのだけど、日々記帳することが楽しい。これは自分が何によって支えられていると”認識しているのか”を日々意識下にもってくる営みだと思う。

正直、今の形は暫定的なものなので、表示の仕方やデザインは刷新していきたい。ただ、ひとまずできることをやるところから始めるということで、1ヶ月やってみることができたのはよかった。

そもそもやってきたものや巡っていったものを可視化し切ることには興味がない。というよりも無理だ。日々記帳する時に、たしかにご飯をご馳走になったことや泊まる場所のご縁を頂いたことは、仏教界隈で語られるお布施の視点(※)に立つと、お布施と呼んでも差し支えないと思うけれど、そういう分かりやすいものの背後には認識することができていない有象無象の流れがある。認識できるお布施をだとするなら、認識できないものたちはだ。どれだけ図の一つ一つを数えても、結局のところ地の全てを数えることにはならない。私にとっては数えるということは地の流れを感じる入り口に立つようなものだと感じている。

※ 無罪の七施という言葉がある。それはお金が無くてもできるお布施7選!という仏教のフレームワークの一つだ。その中の一つが「房舎施(ぼうじゃせ)」で、「自分の家(泊まる場所)を提供する」という意味。

そういうことを意識しながら、2月はもう少し、自然から受け取っているという感覚が起動した時にも、お布施の観測結果としてメモをしていこうと
と思った。めんどくさくなってきたら、書くのを止める。続けることができる範囲で楽しんでいこうと思う。

このお布施の観測は1年間くらいは意識しながらやってみたい。どこかのタイミングでもういいと思ったら止めると思う。その時にはきっと、地の有象無象に支えられていることを受け取る力が十分に養われているだろうし、その時にまた、どのような言葉が自分自身から出てくるのかが、単純に楽しみだ。


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