ルパン幻想

画像1 母は91歳、物忘れは酷くなりましたが元気です。北関東某県の、当時市内随一県内でも有数の飲食販売会社の跡継ぎ婿取り”若奥様”で所謂”小金持ち”、外面的教育熱心で習字・絵画教室に通わされましたが、進学時に美大を希望したら反対されました。本人は読書家ではないのですが、子供には全何十巻とかの少年少女世界文学全集を買い与えました。ま、見栄です。気乗らずながらも一般の子供達よりは多くの本を読んでいたと思います。1番印象に残っているのが「十五少年漂流記」他には「ロビンソン・クルソー」「空飛ぶ教室」「小公女」とか。
画像2 ま、「読書」の切っ掛けにはなったと思います。自身進んで読むようになった始まりは小学校図書館の「鎖の輪61号(記憶あやふや)」との題名の冒険推理小説、その後ルパンやホームズに夢中になりました。子供向けに簡略に書かれたものでした。ホームズの助手ワトソンは少年でしたし。
画像3 何故こんな話を始めたかと言えば、最近読んだドイルの未発表遺作「リュパン、最後の恋」のせいです。小学生時代しか読まなかったコナン・ドイル、ちゃんとした大人向けも読んでおきたいとの思いでした。しかし期待は裏切られました。子供向けでは無いはずなのに、内容は全くの”子供だまし”でした。ルパン作品自体、元々が子供向け冒険コミック作品だったのでしょうか?
画像4 中学生以降はルパンもホームズも読んでいません。推理系はアガサ・クリスティーとエラリー・クィーン(それもバーナビー・ショー作品のみ)程度、そして推理冒険探偵もの自体を読まなくなりました。それ以降は純文・古典系、夏目漱石・太宰治・芥川龍之介・森鴎外・志賀直哉等々、そしてヘミングウェイ・スタインベック・カミュ・ディケンズ等を読む文学少年(絶滅危惧種?)へと。
画像5 文学は”創造”の世界です。その世界の中で作家は独裁者、どんな世界でも描くことができます。嘘でも何でも。そこに不信を感じるようになりました。推理小説は事件を”推理”した訳ではありません。事件は作者が作り出したもの、犯人は最初から(作者にとっては)知れています。辻褄合わせに勝手に証拠や証人・事実関係を作り出しただけ。何でも描ける、故に作者には自制が必要、”嘘”は書いちゃいけない、そう思うようになりました。↑この作品がそう考えるようになった契機となったかも知れません。私にとっての”真実”を多く含む作品です。
画像6 (「Yの悲劇」は今でも傑作のひとつだと思っていますが)読まなくなってしまった推理小説、子供の頃胸躍らせた「奇巌城」「813」「緑の目の少女」は幼い子供故のまぼろしだったのでしょうか? 赤胴鈴之助や月光仮面・まぼろし探偵・忍者部隊月光並みの、子供向け漫画レベルだったのか? 確かめないわけには行かないようになってきました。ちょっと懐かしくて手に取っただけだったのに・・・。  因みに「県下有数の飲食・販売会社」は、美大を諦めて法科に進んで気乗らず継いだ商才無き四代目が衰退させ、数年前廃業に至りました。(笑)

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