民主主義の堕落

生きる為の「経済力」と、コミュニティのルールに関与する為の「政治力」は、人間として生きるための必須の能力だ


コミュニティの構成員全員が経済にも政治にも参加する直接民主制の時代は、全員がそれなりの両能力を保持していた

しかし、生活の利便性や効率性が追及される過程で、餅は餅屋的な個々人の得意分野に特化するプロセスが進行した

特化プロセスが経済力分野だけに留まっている間、いわゆる直接民主制の時代は、政治力に関しては、コミュニティを維持発展させていく当事者当事者であるという意識が全員に共有されていた


民主主義が成立し維持されるには条件がある

一つは、言いたいことを言える社会であること

二つ目は、お互いの主義主張を調整して、妥協と譲歩を通じて、コミュニティの一体感を維持できること

つまり、民主主義のコミュニティでは全員が自分の主張を100%は通せないのだ

そして、お互いの主張を調整して、構成員に妥協と譲歩をさせる、この行為が政治行為であり、その能力が政治力だ


政治行為は精神力を必要とするタフな作業であり、政治力を身に着けるには一朝一夕では無理であり長期間の胆力を必要とする

生活の利便性や効率性の追及という欲望によって、特化プロセスはついには政治力の領域にも波及し、政治を得意とする人間による政治、代表制民主制に移行する

政治とは手間暇かかる面倒な作業であり心理面の負担も大きいから、自分の意をくんでくれそうな人に政治を委任するのは当然の帰着だろう

面倒な政治はおまえに任せる、おれは生活(=金儲け)を頑張る、という構図に移行したのだ


しかし、一旦政治を他人に委任してしまうと、お互いの主張を調整して構成員に妥協と譲歩をさせる政治行為に身を置かなくなるので、妥協と譲歩の心がコミュニティの構成員から消え始める

そして、コミュニティ構成員の政治力も失われていく

現在の代表制民主制の世界では、一握りのプロの政治家以外は政治力を持たない(=妥協と譲歩の心を持たない、互いの主義主張の違いを調整できない)状態に陥っている

コミュニティの構成員の大部分は、コミュニティを維持発展させる責任があるという当事者意識が希薄になり、主義主張を言うだけの有権者となってしまった

代表制という仕組みが民主主義を堕落させたのだろう

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