偏ったままで。
調和を持って生きていたい。
人を傷つけたくない、傷つきたくない。
理想と現実のバランスを取りたい。
両極どちらかに偏ることのないように、中道を目指して生きてきた。
しかし、薄々気づいてはいたが自分はものすごく極端で偏った人間だ。
自分の情熱に従って全力で生きるか、死ぬかの二択で生きている。
誰よりも自分自身をを愛し、誰よりも自分自身を殺そうとしている。
0でなければ100なのだ。
その性質を嫌い、克服するためになんとか50で在ろうとしたが、
叶うことは無かった。
本当の調和は自分一人の中で完結出来るものでは無かった。
今思えば、死に物狂いで中道を目指しているあたりがめちゃくちゃ極端だ。
少なからず人間みんな偏っている。
偏っている者同士の関係性の中に調和があるのであって、"わたし"を超えたところにしか中道は無い。
自分一人の中に調和を作る必要など無いと気づいた時にとても楽になった。
自分は思う存分偏っていいんだと。
興味のないものは本当にどうでもいいし
関わりたくもない人だらけだし
生ぬるい馴れ合いや愛情ごっこを見ると反吐が出る。
例え醜くても、本気で生きている人と一緒にいたい。
そういう本音を言わずに生きてきた。
自分に嘘をつき続けた体は痛み、いつしか石のように硬くなっていた。
当たり前のことかもしれないが
ものすごく慈愛に満ちた自分もいるし、腹黒い残酷な自分もいる。
自分の場合はその両極がものすごく極端なのだ。
天使と悪魔を両方肩に乗せている気分だ。
天使はみんな喜んで迎え入れてくれるが
悪魔の方はそういう訳にはいかない。
でも、みんなが悪魔だと思っている部分にこそ創造の面白さが潜む。
光は誰が見ても美しい
闇を知らなければ、光を感じることさえ出来ない
光の輪郭は闇によってのみ描かれるから。
取れもしないバランスを取ったフリをして
当たり障りのない人生を生きるのはごめんだ。
この生き方は誰かを傷つけるのかもしれない。
でも自分自身を生きることしかできない。
それでいいじゃないか。
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