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「名乗らないワークショップ」の報告

悩みは継続中です。これは、いわゆる「名乗らないワークショップ」を実施した場合に遭遇するジレンマのお話なのかもしれません。

「名乗らないワークショップ」を実施するのには、それなりの背景があるわけです。名乗ってしまったときに起きそうな事態への懸念。例えば、ワークショップという言葉のイメージの独り歩きですとか。反発だったりとか。

せっかくさりげなく、名乗りもせず場づくりをしておいて、いざ報告の段階になって、唐突にワークショップ感全開で、背景、コンセプト、プログラムの流れ、成果、振り返りなどを、ドーンとまとめてMAX報告してしまうと、どうなってしまうか? もはやそれは「名乗らないワークショップ」ではなくなってしまうじゃないか、という…。

かといって、やはりある程度は、これまでのよく分からない会議と違うんだよ、という「ほのかな香り」を伝えないと。何をやったのか、そこで何が起きたのか、認知度はゼロ止まりになってしまいます。何もしなかったことになってしまいます。それはそれで、足踏み過ぎて困る。

ワークショップの実施だけでなく、報告においても「じわっと浸透しつつ、ヌルリとかわす」ようなバランスが必要になってくるようなのです。

「名乗らないワークショップ」の報告…これは結構課題だなぁと実感中。開催以上にバランスが難しい…。

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