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人称達

私は脳内で幾人もの人称達と時折お話をしている。
そして人と話す時も人称の使い分けをして、どの立ち位置で話しているのかを明確に区分している。
今日はそんな人称達の軽い紹介を立ち位置を書くことによって再認識しようと思う。

名称未設定のアートワーク

大きく分けると主観側に2、客観側に3
それぞれの人称がそれぞれの視点で意見をやり取りする。

もともとの幼い頃の人格の名残である僕。

少年期の強くあろうとしないと生きていくのが困難だった頃の名残である俺。

生きがいを見失い物事に対して少し引いた目線で見るようになった私と自分。

生きて生まれるはずだった我が子をを片手に抱きしめ、しっかり生きる事を誓った時の高い位置で俯瞰して物事を眺める三人称の照屋翔士。

そんな人称達で私の脳内はよく賑わっております。

その昔、内在性解離とお医者さんに言われた事もありますが
日常を生きていく上で不便な事もなく。寧ろ視座が人称達分はあるので、物事に関して多角的に捉えられているのでは?と思っております。

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