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我が宿命

生み出すのは私の『宿命』。
好きや嫌いではなく。
楽しいや嬉しい、苦しいや悲しいや怒りでも無く。
私にとっての何かを生み出すという事はそれらを超えて、
すべてを包み込むようなものである。

アデニン、グアニン、シトシン、チミンによって構造化された
私という人間をすべて使い切る。
それが私の理想である。
だからこそ人からの評価に基本的に左右はされない。

そして、常に思考する。
『宿命』とすら思っている(思い込んでいるだけかもしれない)生み出すという行為、
生み出されたものは果たして生み出すべきなのかと。
自問自答し続けている。
モノやコトに溢れ飽和している世界に生み落とすことでいつかゴミになるのではないか?
これがゴミにならなくても別の何かを代わりにゴミへと変えてしまうのではないか?
自然とってこれはどうなのか?

それから更に飛躍する。
文明社会や経済の循環は本当にこれでよいのだろうか?
価値と価値のやりとりによって生まれた何かは
実は野良猫にエサを与えるだけのその場限りのもので、
何にも繋がっていないのではないか?
人は社会という枠組みを築き上げたことにより、其処から出られなくなってしまったのではないか?

答えなど、まだ見えないけれど
生み出す事によって今日もまた、
自分の中の妄想世界と向き合続ける。

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