どっちかというと波なんだ

勤め先の研究所では、「KEKキャラバン」と称する出張講義をやっていた。(たぶん今もやっている。)講師の出張旅費も謝礼もタダというお得な企画なので申し込んでくださる学校も多いが、どんな講師が来るかわからないのでギャンブルだ。研究所のなかでは申し込みごとに我こそはという講師を募るという形でやっているので、それなりに腕に自信のある講師が派遣されることになるはずだが、成功だったかどうかはお客さんの判断なので何ともいいがたい。

私自身、こういうのは嫌いではない。これまで何年になるんだろう。年に2、3回、のべ20回以上出かけたのではなかろうか。対象は小中高、一般などがあるが、もっぱら高校を選んで行くことにしていた。大学以上だとそもそもこういう依頼は来ない。中学だと話す内容が限られて(私が思う)面白いことを伝えられない気がするからだ。行き先は関東が多いが、ときに関西、中国、四国もある。できれば遠くのほうが楽しい。こういうことでもないと行けない場所を巡るのは役得なのだ。

話す内容は、決まって「素粒子と宇宙」についてのおおざっぱな話。教科書にのっているような話も多いのかもしれないが、気にしないでやる。自分自身が高校の物理で何を学んだかちっとも覚えてないくらいなので、きっと生徒さんにとってもそういうのでいいのだと勝手に解釈している。心がけているのは、何でも伝えようと思わないこと。若者は知りたいと思えば自分で調べるだろう。疑問が残るくらいが、たぶんちょうどいい。そういうわけで、質問がいっぱい出たときは自己満足で幸せな気分になるが、そうでないことも多い。教育の難しさをいつも実感する。きっと年齢が下がるほど教育は難しい。普段は大学院生しか見ていない者にとっては、高校生のハードルはたぶん数段高い。

素粒子の紹介をするにあたって、絶対に避けて通れないのがこれ。

$$
E = \frac{hc}{\lambda}
$$

粒子は実は波で、そのエネルギーは波長$${\lambda}$$に逆比例する、という量子力学の基本原理だ。講義の中では、今日の数式はこれ一つだけ、と断ってここだけは式を出して説明することにしている。これをもっと簡単に説明するやり方は、たぶんない。素粒子の話はどうしてもここから始めないと仕方ないんだと思う。

量子力学の初めのほうで、粒子と波の二重性という話を聞いてぎょっとするのが定番になっている。物理学を学ぶときには普通はニュートンの運動方程式とか、固くて重さのあるものがどう運動するかということから始めるので、その類推を小さなものまで当てはめていくと小さな粒子を考えることになり、その運動方程式を立てようという問題になる。実際は、電子などの素粒子はそういうものではないので発想の転換が迫られ、粒子と波動の「二重性」というパラドックスのような話を持ち出すはめになる。

素粒子を理解しようとするときには、むしろ「波」をイメージしたほうがおそらく現実に近い。原子のなかの電子は、原子核の周りをちいさな粒が高速でくるくる飛び回っているというより、ふわふわした雲のようなものが原子核を取りまいている様子を想像すべきだ。陽子のなかのクォークはもっと極端で、小さな素粒子が飛び回っているという姿は実態からはるかに遠い。いや、この場合もはや波というイメージですらない。煮え湯の水面という感じだろうか。ごちゃごちゃなのだ。

もちろん、素粒子には粒子としての側面もある。それは粒々というよりも、一つ二つと数えられるという意味でだ。電子は波としてイメージすべきなのだが、その波の振幅、つまり波の高さ、はある大きさの整数倍になっている。波の高さには単位があって、その一つの単位が「粒子」1個分というわけだ。この単位が何で決まっているかというと、そこに答はない。量子力学の基本原理は他から導かれるものではないというのはそういうことで、 ここで説明しようとしているのは、より現実に近い(と私が思う)イメージにすぎない。

波には最低単位がある。一個の波は、だからある大きさのエネルギーをもつ。そのエネルギーの大きさが、先にあげた公式 $${E = hc/\lambda}$$ というわけだ。波一個のエネルギーは、その波の波長$${\lambda}$$に逆比例する。波長が長い波のエネルギーは低く、波長が短い波のエネルギーは高い。ここで出てくる$${h}$$と$${c}$$という記号は単なる数で、それぞれプランク定数と光速度という。これらはまた登場することもあるだろう。

せっかくだからおおよその大きさを考えてみよう。携帯電話が通信で使う電波の波長は16 cmだという。この波一個のもつエネルギーは $${10^{-26}}$$ ジュール。もうちょっと身近な単位でいうと$${0.3\times 10^{-32}}$$ kWh(キロワットアワー)。ドライヤーを1時間つけっぱなしにしたときのエネルギーがキロワットアワー。豆電球を1秒つけるだけなら $${10^{-7}}$$ kWhだから、それと比べてもさらに25桁小さいことになる。

もう一つ。お肌の大敵である紫外線の波長はおよそ300nm(ナノメートル)。つまり、$${3\times 10^{-7}}$$ m だ。さっきの電波よりも6桁波長が短い。波一個のもつエネルギーはずっと大きくなるが、それでも$${10^{-26}}$$ kWhだからずいぶん小さいことがわかるだろう。しかし、この差はこれらの波の性質に大きな影響を及ぼす。一個一個の紫外線は細胞の中に入り込み、DNAを破壊できるだけのエネルギーをもっている。だから皮膚がんが心配になるわけだが、携帯の電波ではそういうことは起こらない。エネルギーが低すぎてDNAに影響を与えられないというわけだ。

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