ごちゃごちゃの中で生き残る粒子は

音楽家は楽譜を見るとすてきな音楽が頭の中で鳴り響くという。物理学者たるもの、数式を見るとすぐに物理現象が生き生きと想像できるはずだと思われるだろうか。残念ながらそううまくはいかない。私ももう長くやっているので、クォークがどんなものか頭の中にイメージができつつあるが、ずいぶんぼんやりしている。このぼんやりしたイメージを文章にしてみたい。どうなるだろうと思いながら書いてきた。案の定とてもごちゃごちゃした話になってしまった。私のイメージはこのとおりで、やはりごちゃごちゃしている。

前回まで、クォークが真空中を伝わっていくようすを紹介してきた。 グルーオン場がつくるでこぼこの中を、クォークの場がときには勢いよく、ときにはひっかかったりしながら拡がっていく。背景のグルーオン場はランダムに突き動かされ、それら全部を合わせたものが最終的なクォークの波動関数を与える。ただし、クォークは単独ではいられず、陽子・中性子や中間子をつくらない限り存在を許されない。クォーク自身は伝わっていくのに、それらを複数組み合わせないと、あらゆるグルーオン背景場の場合を足し合わせたときに波動関数がゼロになってしまうのだ。いったいどうなっているんだろうか。K中間子の場合を例に考えてみよう。

K中間子をつくるダウン・クォークと(反)ストレンジ・クォークは、少しだけ質量の異なる別の粒子だ。だから、真空中の伝わりかたも微妙に異なる。これらのそれぞれが計算できたら、両者を組み合わせてK中間子をつくる。組み合わせるというのは、ダウン・クォークの場に、ストレンジ・クォークの場の複素共役(反粒子に相当する)を掛け合わせることだ。ただし、両者がもつスピンが逆向きになるものを掛け合わせないといけない。間違えるとK中間子ではなく、スピンの異なるK*中間子ができてしまう。とにかくこうして、K中間子の「場」ができた。クォークの場を2枚もってきて、片方を裏返してホッチキスで留めたようなものだろうか。

こうして「裏返してホッチキスで留めた」ものは、めちゃくちゃに振動するグルーオンの背景場を足し合わせたあとでも生き残ることができる。数学の言葉では、複素数とその複素共役をかけあわせると常に正の数になって相殺しなくなるということだ。クォーク場はそこにあるのに、現実に単独で存在する確率がゼロになる。一方で陽子・中性子や中間子が生き残る理由はこうして説明される。

ただし、ここにはまだ問題がある。K中間子の「場」と言ったが、これはK中間子のみをあらわすものではない。K中間子と同じ内容物(ダウン・クォークと反ストレンジ・クォーク)をもち、K中間子と同じスピン(この場合スピンはゼロ)をもった粒子は、なんでもこの場のなかに含まれている。現実の世界では何に相当するかというと、K中間子よりも質量、つまりエネルギーの大きい、数多くの励起状態のことだ。励起状態のなかには角運動量が異なるものもいろいろあるが、そのなかで同じ角運動量をもつものすべてということになる。実験できれいに見つかった状態もあるが、多くは複数の中間子が互いに飛び交うような散乱状態で、まあ要はめちゃくちゃな状態ということになる。K中間子の「場」はこういうすべての状態を表したものになっている。K中間子は、そのなかでエネルギーが最低のものに相当する。

いろんな状態のなかから狙った状態だけを抜き出すのは、それなりに難しい。量子力学の波動関数は時間とともにその複素位相が回転する。振動すると言ってもよい。振動数がその状態のエネルギーをあらわす。であれば、使うべき道具はフーリエ解析だ。さまざまな振動数がまざった波から狙った振動数のものを取り出すには、フーリエ変換してしまえばよい。ところが、覚えておられるだろうか、この計算では時間を虚数にしてしまっている。おかげで波動関数は振動ではなく減衰する。減衰する速さからエネルギーを読み取る必要がある。これではフーリエ解析は使えない。ただ幸いなことに、エネルギー最低の状態だけはうまく取り出すことができる。他の状態はより速く減衰するので、それを待てばよい。つまり、虚時間で十分に時間がたったときの波動関数を取り出せば、これが欲しかったK中間子の状態ということになる。

クォークの気持ち」から転載のうえ改訂。


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