まじめに考えると無限大

数年前まで大通りに面した官舎に住んでいた。ずいぶん古くてすきま風が寒い部屋だったが、真冬には遠く富士山まで見渡せて気持ちのよい眺めを楽しむこともできた。ところが、週末の夜には必ずといってよいほど暴走族が大通りを走り回る。暴走族というのは間違いかもしれない。むしろ爆音をあげるバイクがゆっくりと集団でパレードするといった感じだろうか。だからとにかくうるさい。しかも通り過ぎるのに時間がかかる。こっちは気密性の悪い部屋に住んでいるので、もちろん音もまともに入ってくる。それでも寝入った子供は決して目を覚まさないのは不思議であった。

バイクのエンジンは本来すさまじい音を出すというのがよくわかる。そして、消音器(あれはなぜマフラーという名前なんだろう?毛布を巻きつけるイメージか?)がとても優秀な装置だというのもよくわかる。一方で、マフラーを外して乗る若者の気持ちはどうも理解できない。そもそも乗っている彼らは一番近くにいるんだから自分が一番うるさかろう。

ガウスの法則の話だった。空間のある一点に電荷を置くと、その周りに電場ができる。ガウスの法則にしたがって、電気力線が電荷から外に向かって放射状に出ていく。この電場のなかに他の電荷を置くと、電場から力を受けて動き始める。電場が強ければ働く力も強く、弱ければ力も弱い。これが電磁気力が伝わる仕組みだ。だが、よく考えてみてほしい。最初に電場を作った電荷だって周りの電場の影響を受けるはずだ。この場合、周りの電場というのはつまり自分が作ったものだ。自分が自分に力を及ぼすのだろうか。しかも、電荷のごく近くでは電気力線が全部集まるので電場は非常に強くなる。何のことはない。電荷が及ぼす力は自分自身にもっとも強くはたらくのか。

量子論を取り入れた電磁気学のことを量子電磁力学という。この理論では実際にそういうことが起こる。電子はその周りに電場を作り、その電場がもとの電子にあたえるエネルギーを計算してみると、無限大。なにしろ電子のすぐ近くでは電場は無限に強くなるわけで、電子は自分自身が作り出した電場のあおりを受けて無限大のエネルギーを得る。無限のエネルギーが得られたといって喜んではいけない。これはむしろ、電子は存在できないことを意味する。 一つの電子をそこに置くには無限のエネルギーを必要とするのだからとんでもない話だ。

この困った問題を解決してくれるのが「くりこみ理論」ということになる。当初は無限大を何とか処理して有限の数をひねり出すための処方箋という位置づけだったが、やがてもっと深い意味があることがわかってきた。ごく近距離で電磁気力が強くなることも説明されるのだ。

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