予断まみれで不公平な刑事裁判

憲法37条1項は次のように規定している。
「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」
公平な裁判を保障するために、刑事訴訟法には「予断排除の原則」がある。

「予断排除の原則」とは、裁判所を事件について予断を持たない状態(白紙の状態)で第1回公判に臨ませようとするものだ。
公判審理開始前に、裁判所があらかじめ事件の実態について心証を形成することを防止すため、刑事訴訟法(と規則)では様々な規定が定められている。

では、わが国の刑事裁判で、「予断排除の原則」は機能しているだろうか?

購読している日本経済新聞8月27日の「春秋」を読んでいて、私は腰を抜かすほど驚いた。
河井夫妻の事件に関して、河井夫妻が有罪であることを前提として述べられていたからだ。
現金を受領したとされる100人の「やましさ」について書かれていた。
河井夫妻の有罪は当然のこととして扱われていた。

第1回公判期日で、河井夫妻は無罪主張をしている。
刑事訴訟法の最も重要な原則である「無罪推定原則」によれば、河井夫妻は無罪と推定されなければならない。

ワイドショー等であれば視聴率を稼ぐ必要上、やむを得ないのかもしれない。
しかし、一定レベル以上の知識を持った人たちが購読している日本経済新聞の1面の「春秋」でも、「予断排除の原則」も「無罪推定原則」も無視されてしまった。
知的レベルが相当高いと思われる執筆者でさえ、刑事訴訟法の大原則を無視してしまっている。

厳格な刑事裁判官は、自身が担当する事件についてはテレビ等を一切見ないようにしていると、以前聞いたことがある。
予断を抱いて公判期日に臨んで、裁判の公平性を損なわないためだ。

市民感覚を司法に取り入れるという目的で始まった裁判員裁判。
裁判員に選任された人たちに、先の厳格な刑事裁判官のような態度を望むことは不可能だ。

大きく報じられる事件ほど「予断まみれの裁判」になってしまい、裁判の公平性が害されている。

改めて、裁判員裁判の存在意義について大きな疑問を抱いた次第だ。

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