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四君子

 四君子(しくんし)とは、蘭・竹・梅・菊四種の植物を君子に喩えていったものです。君子とは徳の高い菩薩のような人のことですね。

 は、山の中にひっそりと佇み奥ゆかしい香りを放っていることから、山谷にひとり隠棲する気高き君子に例えます。
 は、天空に向かって真っ直ぐに生えることから、至誠一貫いかなる時も自己の信念を曲げない志操堅固な君子として讃えます。
 は、他の花々に先んじて雪の中にあっても花を開くのを賞讃し、時代の魁となる先知先覚の君子とします。
 は、晩秋の寒さや霜にも耐え、高天のもと凛と咲き誇り、気高く晩節を全うする君子に見立てるのです。
 これら四君子を描く際は、形似に走るのではなく、それぞれのモチーフに付与された君子の気品が画面に現れるように描くのが良いとされています。

 四君子の描法は、水墨画の筆法、特に花鳥画を会得する基本とされてきました。四君子を学べば他のどんな花鳥画も描くことができるというわけです。
 私の見立てでは、四君子は基本であると同時にもっとも難しい題材ともいえます。用筆、用墨、構図と、水墨画のあらゆる要素が四君子の修練に含まれるからです。もっとも難しいからこそ、四君子を描くことができればあらゆる花鳥画が描けるということなのでしょう。

四君子

 そもそも基本というと簡単なものと誤解されている人が非常に多いように思われます。絵画にせよ音楽にせよ、あらゆる芸術は基本的な技術がもっとも大事なのであり、この基本を習得するのは一朝一夕では身につかないということを多くの人は忘れているのです。
 一本の線を正しく描く、一つの音を正しく奏でる、ここから芸術が始まり終わるのです。
 基本のない芸術は土台のない不安定な印象を与えます。どれほど素晴らしい芸術であっても、いや素晴らしい芸術作品こそ、確固たる基本技術をはっきりと見て取ることができるのです。

 橋本関雪という画家は自著の中で蘭竹が初心者の描くべきものと誤解されていることに触れ、「(蘭竹の描画は)絶対境であると思わす程優れた表現法で、おそらく吾々人類の上に再びこれ以上の簡略洗練された表現方法は生まれて来ないであろうと思う」と、四君子、とりわけ蘭竹の描法に究極の美を見出しています。
 芸術においてもっとも大事なことは基本的技術の体得で、この基本的技術を常に維持洗練させるべく切磋琢磨することこそが自己表現を可能にする捷径なのだと思います。

と、偉そうに言っていますが、私自身に対する戒めでもあるのです。

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