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第九話 サッカー×バイト×コロナ


シーズンオフ、実家に帰省すると、僕は1つの決断をする。

大学中退。

この決断にはいくつかの理由がある。

1つ目は海外に挑戦したい。
僕は幼い頃から海外でプレーをしたいと考えていた。僕は当時20歳で、世界を見れば僕と同い年や僕よりも若い選手が活躍をしていた。同年代の大学サッカーでも活躍をできていない自分には余計に無理だろうというのが一般論だ。ただ、僕は他の言語や文化、異国の地でサッカーをすることにも魅力を感じていた。とは言え、海外に挑戦するだけの資金を当時の僕は持ち合わせていなかった。そこで1年間サッカー×バイトでお金を貯めようと考えた。

2つ目は環境に慣れてしまったこと。
あくまで自分次第というのは僕の根本にあるのが前提だが、2年間同じ環境でサッカーをしてきて充実はしていた。ただ、3年生となる次の年に上の学年は4年生のみ、果たして普段の練習やリーグ戦で僕は刺激ある毎日を送れるのかと考え始めた。決して下の学年や同期に不満を持っていたわけではないし、特に鹿屋体育大学は下の学年の能力が優れているとさえ思っているし、同期の多くがもうすでにJの舞台や大学の選抜大会で活躍をしている。しかし、僕は刺激を求めていた。サッカー選手以前に、人間としての刺激を。

3つ目は自己投資の時間を増やしたい。
僕は大学を選んだ理由の一つとして教員免許を取れることがあったが、授業を進めていくうちに教員にはならないと思った。そしたら何のために大学で授業を受けているのかわからなくなり、単位のためだけに受けている興味のない講義の時間を僕はもっと自分のために使いたいと思い始めた。

何を甘いことを言っているんだと思われるのは百の承知だし、親のお金で大学に通えていたのにそれを台無しにする気なのかという声も上がるだろう。でも僕はそれを全部理解し覚悟した上でこの挑戦をしたいと決めた。

大学の先生からは休学でもいいんじゃないかという有難いお言葉もいただいたが、そんな保険を抱えての挑戦は僕は嫌だった。もしダメだったらその時はその時で自分で生きるために何かに懸命に取り組むだろう。それもまた楽しみにさえ思っていた。

周囲の反対の声を押し除けて粘りに粘った結果、最終的には家族、同期、ユース時代や大学の監督やコーチ、先生が僕を後押ししてくれた。


しかし、ここで1つ問題が生じた。
それは大学を辞めるのは決まったが、東京でプレーするチームが決まっていなかったのだ。
東京に帰ってから探せばいいかと甘い考えをしていた自分であったが、そんな自分のもとにチャンスが転がってきた。

僕の尊敬する本田圭佑選手が発起人となりサッカーチームを作るというのだ。
それが現Edo All United(旧One Tokyo FC)だ。



東京都4部のJ10にあたるリーグからのスタートになるというのだが、そんなことは関係なかった。大学を退学して夢のために再スタートした自分と新たにサッカーチームとしてスタートするクラブがどこか似ているようで魅力的に感じたからだ。

そんな偶然とは言い難いクラブとの出会いがあり、セレクションに応募したところ見事合格をし、いよいよスタートラインに立った。


「どうせなら東京都4部のサッカーのピラミッドでいう1番底辺からどこまで這い上がれるか挑戦しよう」

と意気込み、社会人リーガーとしての幕が上がったのだ。

しかしそんな矢先に新型コロナウイルスの影響でリーグどころか、チームの練習も中断するなど、今まで当たり前に送っていた日常に大きく制限がかかった。


自分にとって大きな決断をした初年度ということもあって、かなり気合が入っていただけに先の見えない中断期間に焦りを感じたが、どこのリーグも同じ状況であったので、自分のやるべきことを理解し、行動するまでに時間は必要なかった。

「この中断期間でさらに進化しよう」

と決意を固め、バイト×トレーニングの日々が始まった。

今まで本格的にバイトをしてこなかった自分にとってほぼ初めてのバイトではあったものの、地元の友人やバイト先の人たちのフォローに救われ、あまりストレスなく慣れることができた。

ただ想像以上にキツかったのがバイトを終えてからのトレーニングだ…笑
バイトではサッカーとはまた違った疲労感があり、バイトが長い時は朝から夜まであったのでそれからトレーニングとなると開始時刻が23時を超える日もあった。トレーニング後は食事を済ませてからすぐにお風呂に入ればあとは寝るだけなのに、お風呂に入りに行くにも腰が上がらず、気がつけばソファで一息ついてしまうほど自分が思っている以上に身体は疲労していた。

でもこれが僕が選んだ道だ。
アルバイトの身分だけども、働きながらサッカーをする。
この時期はサッカーというサッカーをすることができなかったが、いつの日かサッカーができるようになる日のためのトレーニングは全く苦ではなかった。
ときに妥協してしまう時もあったけど、そんな自分を乗り越えて僕はサッカー選手としても1人の人間としても自粛期間で成長できたと思っている。
だから今この時期を振り返ってみて、後悔は一切ない。


そんなある意味充実した自粛期間が終え、ついにチームとしての練習がスタートしたのがたはたしか6月に差し掛かるか差し掛からないかの時期だった。

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