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読むことの快楽 (10/15の日記)

 金曜日。晴れ。
 頭痛のせいで、なかなか起き上がれず。11時近くになって、朝食。炊き込みご飯、鶏の照り焼き。
 友だちからLINEあり、来週、うちに来てくれるという。
 昼食に、母がパンを買ってきてくれるが、めまいに襲われて、起き上がることができない。妹がスマホから音楽を流して口ずさんでいる。1時間ほど横になったまま目をつぶっていたら、だんだんと楽になる。
 3時頃、車椅子をベランダに出してもらい、パンを食べる。外の空気にあたるのは、退院以来じゃないか。気持ちが良い。向いの畑でおばあさんたちが花を切りながら喋っている。
 あんぱんがおいしかった。
 『富士日記』(武田百合子、中公文庫)を読む。ここ数日、ずっと読んでいる。
 手垢のついた言い方だが、本には読むべきタイミングがあるのだなと思う。『富士日記』には大岡昇平が頻繁に登場するので、大岡の読者として読まなければいけない本に入っていた。おととし、バイトの帰りの電車の中で、上巻と中巻を読み通した。ところが、どうも飛ばし読みぎみになってしまい、細部が記憶に残らないので、その時点では読めないものと諦めたのだった。下巻は買わずにいた。
 先日、入院するときに、『富士日記』を読み終えてないことが気になって、下巻を買い、病院にも全巻持って行った。病院ではホメロスを読んだので読めなかった。
 いま、私はこの本を、書き手の武田百合子が食べたもの、見たもの、話したこと、聞いたことの一つ一つを読むことそのものの喜びに浸るようにして読んでいる。現実の武田百合子がかつて過ごした時間ではなく、この本を読むことの中にだけ流れている時間の流れにどっぷり浸かってしまっている。『富士日記』が細部の記述で満たされている豊かさが、そのまま、寝転んで本を読んでいる私の世界の豊かさになっているような感覚。
 これは、私の体が、つねに、これまでの数倍かに感じられる重力の中で寝転んでいることに関係している気がする。苦しいといえば苦しいが、その苦しみも含めて、その中に身を委ねてなされるがままになっていることが一種の快楽として感じられる。

 おとといだったか、『セリ・シャンブル3 金井美恵子・金井久美子の部屋』(旺文社)を読んだ。
 金井姉妹の絵や小説のほか、それぞれ好きな人物、映画、写真、絵画などについて語ったエッセイや講演録、さらに2人を交えた座談会が載っている。座談会と言っても、大岡昇平や西江雅之とのそれのようにいわゆる充実した内容を持ったものもあれば、安原顯とのあまり噛み合っていない雑談、四谷シモン、渡辺兼人兄弟と金井姉妹との、ほとんどプライベートを開陳してしまっているようなとりとめのない会話の記録もある。
 大岡昇平の読者として、『成城だより』や金井美恵子のいくつかのエッセイを読んで空想していた金井姉妹と大岡昇平との対話場面が、本書の座談会記録を読むことによって、よりよくわかったという「収穫」はあるのだが、それよりも、端的に快楽的につくられた本を、純粋に快楽的に読んでしまった感が強い。
 読むことそのものの純粋な快楽、いや、純粋というより、その快楽の中にある退屈さ、うんざりする気分、かすかな苦痛も含めて享楽することを、金井美恵子の本は教えてくれる。それはたとえばホメロスやスウィフトを読んで、「自分がいかに無知かを知る」喜びとは全く異質なものだが、ホメロスやスウィフトを読むことの根底にも、やはり、この読むことの快楽はある。それがなければ、私は本を読むことはないだろう。金井美恵子の本と出会ったことは、大げさでナルシスティックな言い方だが、私にとって一種の恩寵ではないか。
 『セリ・シャンブル3』を読んでから、すっかりそんな気分になって、『富士日記』を耽読しているのである。

 訪問の看護婦さん来る。注射針を入れ替えてもらう。このときは、まだうとうととしていて気持ちが良かった。
 看護婦さんが帰ってから、一時間ほど休み、それからトイレのタイミングで踏ん切りをつけて、シャワーを浴びる。
 シャワーを浴びるのは疲れるが、まだぼんやりした気分は続いていて、不快さはない。
 もう一度横になり、しばらくしてから(『富士日記』を読んでいた)、夕食を食べる。珍しく妹が家事の手伝いをして、ピーマンの肉詰めを作ってくれた。味噌汁。鶏の炊き込みご飯。
 ベッドに戻ると、お腹が痛むので、しばらく上体を起こしている。だんだんと呼吸が苦しくなってくる。どの姿勢でいても、体が重苦しく、足の痛みも気になって仕方がない。眠ってしまおうと思って、痛み止めを飲むが、効かない。トイレに立ったら、便座から立ちあがれなくなってしまい、母に起こしてもらう。
 さっきまで、「快楽」だと思っていた体の重苦しさが、耐えられない苦痛になってきた。うとうとしていた幸福感は、すっかり消えて、苛立ちと憂鬱が心を占めている。
 息苦しさは消えず、睡眠薬を飲んでも寝れず、翌朝までほとんど一睡もできずにうなり続けていた。夜中、両親が心配して何度も声をかけてくれたが、体調は変わらない。(つづく)
 

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