【なぜ会社を作ったのか?】転職編

おはようございます!シリーズで社内ブログを書くと、朝が辛い鎌田です(笑)

2009年に『新設のケアハウスが出来るらしいよ!』と噂で聞いて、人生初の転職ーーーーー。

元々新卒で2年間のみ!と、決めていたので新しいケアハウスの施設長に『今度は何年いるの?』と聞かれて『6年です!』とハッキリ答える。施設長は苦笑いしてたけど(笑)

新しいケアハウスが出来るまで3ヶ月ほどあったかと。その間は特別養護老人ホームで働いてと。『はーい』って感じで現場に入る。ちなみに、その時の新卒(18歳)が高嶋さんです。彼は当時、良く怒られてました。その上司が冨成さんです。僕はどちらかというと『期間原点のよそ者の余所者』でした。
ちなみに、その時の高嶋さんは超劣等生。なんや色々言われたり、ごちゃごちゃ言われたり。知識も経験もないので、反論も出来ず。まさにフルボッコ(笑)あの当時『腐ったらアカンでー。時間薬があるから、ほっとき』と僕が言ったのを思い出しました。

ちなみに冨成さんは、超ヒステリック!!凄かったですよ。今思うと22歳で出世して、アソビゴエでいうと代理みたいな立場ですけど。アソビゴエの安藤瑠衣の最初より酷かった!とにかく怖かった。目がキーーー!っと釣り上がってた。まぁ後は本人達に聞いて下さい。
ちなみに鎌田はというと、余所者オブ余所者なので、楽しく働いてました(笑)ぶっちゃけマニュアルもガバガバやったし、はじめてのユニットケアなので。人員配置も楽だし。でもなんか皆んなイライラしてたのは覚えてます。
良い人多かったけどね。

それで、ケアハウスも内装がボチボチ終わりはじめ、そろそろ業務の話し合いが始まるわけです。

っといっても利用者さんが入所してるわけではないし、方針の作り方も学んでないマネージャー達が(今思えば、上司もMGをしてたら、全然違うかったと思う)、文字通り手探りでやる。その時に印象的な出来事が【床の色、何にしましょうか?事件】

これは会議で床の色を決めれるとなり、それについて1時間も話している。その時に感じたのは『あぁ、声が大きな人の意見が通るのか』と思った。
繰り返しになるけれど、彼ら彼女ら先輩が悪いのではない。悪いのはそのさらに、上。つまりトップ層である。
この“層”が大事なわけですが。

『こりゃ、僕がいても意味ないな』と思い、次回からは無理矢理に入浴介助を入れてもらい、特養のスタッフに有給なりをとってもらいました。その方がよっぽどマシだと考えた。

専門職として働くことに憧れはあったけど、批評家や寸評をするのは違うかった。“現場を良くしてなんぼ”と自分の存在意義を感じていた。口だけ人間になりたくなかった。と、いうか油断すると口だけ人間になりそうだった。
自分もここ(特養、ケアハウス)の一員だと思ってたので、そこだけは譲れなかった。

つづく…

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