ベクトル空間とは何か

線形代数を学ぶときにぶち当たる壁の一つに,ベクトル空間の定義の長さがあるだろう.


$${a, b, c}$$を$${V}$$の任意の元,$${\lambda, \mu}$$を任意のスカラーとするとき,次の(1)〜(8)を満たす.

(1)$${a+b=b+a}$$
(2)$${ (a+b)+c=a+(b+c) }$$
(3)次の性質を満たす$${V}$$の元$${0}$$がある.$${V}$$の任意の元$${a}$$に対して,
$${a+0=a}$$
をみたす.
(4)$${V}$$の任意の元$${a}$$に対して
$${a+a’=0}$$
となる$${V}$$の元$${a’}$$がある.
(5)$${(\lambda\mu)a=\lambda(\mu a)}$$
(6)$${(\lambda+\mu)a=\lambda a+\mu a}$$
(7)$${\lambda (a+b)=\lambda a+\lambda b}$$
(8)$${1a=a}$$

新装版 線形代数学,日本評論社,川久保勝夫

以上8つを,“ベクトル空間の公理”という.ただしここで,$${a+b \in V}$$をベクトルの和,$${\lambda a \in V}$$をベクトルのスカラー倍という.

“ベクトル空間の公理(1)〜(8)”を満たす集合$${V}$$を,ベクトル空間と定義する,と.



いや,どう考えても定義ダルすぎだろw

普通に大学で勉強する場合,集合論や体論より先に学ぶことになる.
最大の問題は,未定義の記号列を素朴に単なる記号列と捉える訓練がされていない内に学ぶことになる,という点だと思う.(これは普通,大学で数学を専攻しないと訓練されないし,訓練されずに出来る人は恐らくかなり稀.)


勿論いきなり体論とか学ぶのは大変だからしゃあないんだけど,とはいえこの8つの公理を無機的に捉えると意味不明すぎるから,これを解読していこう.



まず大切なのは,“線形代数とは,和とスカラー倍の学問である”ということ.

そして,“和”と“スカラー倍”とは何なのか,ここで改めて定義しなければいけないということ.
「いやいや,和くらいは知ってるよ」と思ってはいけない.何も“$${1+1=2}$$”というレベルの定義しようという訳ではなく,数とは限らない$${a}$$とか$${b}$$とかに対して$${a+b}$$を定義しよう,という訳なのだ.

そう考えると,上の公理は集合$${V}$$に和とスカラー倍という2つの演算を定義するものだと解ってくる.



まずは“和”について.

馴染みのある“数の和”ではないとはいえ,それと同じ名前で同じ記号を使うくらいである.
“数の和”において成り立つ法則が成り立っていることが期待される.(というより,“数の和”の抽象化であると考えるのが妥当だと思うが.)


そんなわけで,数において$${1+2 \not= 2+1}$$な訳ないし,$${ (1+2)+3 \not= 1+(2+3)}$$な訳ない.
ということを定めているのが,公理の(1)と(2)である.

ここで,(2)でわざわざ括弧付きの場合を定めているのが煩わしく思えるかもしれないが,くれぐれも“和”というのは,二項演算なのである
だから,$${a+b}$$とは書けるが,$${a+b+c}$$とは定義段階では書けない.(あくまでも「定義段階では」だが.公理(2)のおかげで誤解の恐れが無くなる為,$${ (a+b)+c=a+(b+c) }$$の略記として$${a+b+c}$$と書けるようになる.)

あとは,和に関して単位元と逆元はそりゃあるよね,というのが(3)と(4)である.


ここまでの“和”について一旦まとめておこう.

まず和$${+}$$というのは,集合$${V}$$における二項演算$${V \times V \to V}$$であるという前提があり,可換かつ結合的な演算である.また,単位元と逆元が存在する.

$${V}$$同士の二項演算だから可換性の定義が重要だが,一方で結合性の定義はシンプルであった.



“スカラー倍”は$${V}$$同士の演算ではないという点で,“和”とは少し異なる.

スカラー倍とは,$${F \times V \to V}$$という二項演算である.
ここで,$${F}$$というのはスカラーの集合だと理解しておけば良い.

正確には$${F}$$は“体”と呼ばれる集合なのだが,ここで重要なのは,$${F}$$の元であるスカラー$${\lambda, \mu}$$に対して和$${\lambda+\mu}$$と積$${\lambda\mu}$$が定義されているということ.基本的には,実数あるいは複素数の和と積だと思えば良い.


さて,スカラー倍に関しては可換性を考える必要がない.
というのも,そもそも定義しているのは$${\lambda a}$$であって,$${a\lambda}$$は定義されていない.

一方,結合性は(和の定義に比べると)少し複雑である.
というのも,単純に考えれば“$${(\lambda a)b}$$ vs. $${\lambda(ab)}$$”,“$${(\lambda\mu)a}$$ vs. $${\lambda(\mu a)}$$”の両方を考えなければいけないからである.
しかし,少し考えれば分かるように,前者については実は考える必要が無い.何故なら,そもそも$${ab}$$のような積は定義されていないからだ.というわけで必要なのは後者だけであり,それが公理の(5)である.

分配法則に関しては,($${F}$$にも$${V}$$にも和が定義されている為)2パターン考える必要があり,それが(6)と(7).

最後に単位スカラーとでも呼ぶべき$${1}$$の存在を定義して,無事集合$${V}$$に和とスカラー倍が定義された.

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