「頭いいね」と言われるのがコンプレックスだったことを思い出しながら,祈りを込めて
いつまでだったか,覚えてないが,ある年齢まで,僕は自分のことが嫌いだった.
人付き合いに対する苦手意識が強かったが,その理由の一つは「自分は人から好かれない」と思っていたからで,それは,自分で自分を好きになれなかったからだ.
自分で自分を好きになれなかった理由は分からない.ただ,もしかしたら自分のコンプレックスが関係しているのかもしれない.
僕は自分が周りの人達より劣っていると思っていた.
ルックスに自信がなく,運動や音楽もできず,友達も少ない.
かろうじて,学校の成績だけは比較的良かった.
だから,周りから「頭いいね」と言われることは多かったのだが,今だから言えるが,それを言われるのが当時は苦痛だった.
自分は自分のことを,「勉強しかできない」と思っていた.
周りの人達と自分を比べて,「勉強なんてできたって」と思っていた.
それに,“頭がいい”ということがそもそも長所ではないと思っていた.
幼少期から周りの大人に「理屈っぽい」と笑われていた.
それが決してバカにした笑いではないことは今なら分かるが,当時は「理屈っぽく話すことは恥ずかしいことなんだ」と思い込んでいた.
その思い込みは割と長く続いていて,たぶん中学生くらいまでは「論理的に意見を言うべきではない」と思っていた.
結局,「勉強ができる」ということも「ルックスがいい」ということも「運動や音楽ができる」ということも「友達が多い」ということも,どれも等しく価値のあることで,そこに優劣なんてないと思えるようになったのは,けっこう最近のことだ.
最近まで,勉強ができることなんて大した価値はないと思っていた.
で,最近になって知ったのだが,その感覚って,少数派かもしれないが,僕だけではないらしい.
塾で働いていると,一部そういう子はいるし,東大に行った友達は「勉強をとったら自分には価値がない」と思っていたらしい.(もしかしたら今も
彼曰く,東大の中には一定数そういう人がいるらしい.
これって,どう考えてもおかしいことだと思うのである.
特に,東大生という肩書きに心無い言葉を浴びせるような奴,かなりオブラートに包んで言うが,本当にクズだと思う.
ネットなら何を言ってもいいと思っているのか知らないが,実際にその類の言葉を見たときには衝撃を受けた.
真っ当に努力してきて,それでも自分の価値を信じられずに生きているような人が,
何故その努力や苦悩の欠片も知らない奴に否定されなければならない.
別に僕は,子供の頃の自分と似たような思いをしている人に対して大した何かができるわけではないし,自己満足なことばかりやっているのだが,
勉強しかできない僕が,本当に興味のあることを勉強して,それを自分のために発信することで楽しく生きているということが,どこかの誰かにとってほんの僅かでも希望になれば嬉しいと思うのである.
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