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37歳、新入社員になりました

この場を借りて、ご報告です。

私事ですが、2020年8月31日をもちまして、IKKを退職することになりました。あっという間の14年間でしたが、本当に楽しく、幸せを感じる時間でした。

その理由は、何より無我夢中に仕事に打ち込めたからだと思います。無我夢中とは決して、自分だけの力で成立しないことも学びました。その背景には素晴らしい出会いや、周囲の支えがあったということです。

無我夢中という境地こそ、幸せの最高峰

何よりまず最初に伝えたいこと。
それは皆さんのような「可能性を秘めた若者」との数多くの出会いが私にとって趣味を超えたライフワークだったということです。

立場や世代、環境は違えど、共に自分の可能性を信じ、未来に向かって歩もうとするみなさんの存在は私に「生きる力」を与え、同時に「人生の指針」を与えてくれました。本当に感謝です。本当に、ありがとうございます。

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そして、これから何をするのか??というと、

以前より力を入れていた以下3つの活動について更にたくさんの人の力を借りながら進めていこうと考えています。

①若者の可能性を拡大する活動

②イケてる大人(企業)と次世代が出会う場を増やすという活動

③ローカル(地方)の発展を通して、この国を支えるという活動

具体的な話はここでは割愛しますが、このようなテーマを念頭に生きていくつもりです。今後の詳細については別途、報告をさせていただきます。

■今日に至る背景

少し、過去を振り返りたいと思います。

私は2006年4月にIKKに入社をしました。
今から14年前です。

入社当社は自信過剰で世間知らずだった私は現実を直視せず、過去の栄光の呪縛から逃れられず、自分の理想とはかなりかけ離れた状況にとても苦しんでいました。今思えば「最高」のスタートだったと思います。

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20代前半に「一所懸命やるしかない環境」があったお蔭で毎日を無我夢中に生きていました。この時代がなければ今の私は存在していません。逃げたくなることも多々ありました。本当に「運」が良かったと思います。

20代はとても大事です。

あれから14年。
社内の立場もどんどん変わり、社内では人事における「ほぼ全て」を任せてもらい「何不自由のない環境」を与えていただきました。
他の人から見れば、恵まれた環境だったかもしれません。
世間的に見れば「順風満帆」に映っていたかもしれません。たしかに、充実はしていました。

■その充実感が、葛藤を刺激する日々

一方、そんな環境に対して私は全く満足しておらず、葛藤しかありませんでした。ただ葛藤はあったものの、それ以上に勝る「気持ち」が強く、今まで以上に仕事に打ち込んできました。

新卒として入社したこのIKKに対する気持ちは社内にいるだれよりも強かったと思います。もっと素晴らしい会社にしたいという思い、共に働く仲間への思い。仕事を通じて「こうすれば良い」と思うことは「全て」実行してきました。

仕事はやればやるほど、どんどん解決したいこと、取り組みたいことが新たに生まれてきます。悩みながらも、新たに発生したプロジェクトに没頭する日々も続きました。上述したように私は有難くも数多くの学生(若者)に触れてきました。おそらく日本でもトップクラスに入るぐらい、若者たちと共に過ごしてきたと思います。

同時に数多くの企業の方々とも関わる機会がありました。色々な相談悩みを聞いてきました。

■葛藤の正体

そのような経験を通して、日に日に、この国が抱える様々な不具合や課題、伸びしろを感じるようになりました。

この国を「無限の可能性を秘めた次世代のために」変えていかなければならないと強く思うようになりました。

この国が抱える課題を解決し、子供たち、若者、次世代が豊かに生きる「環境づくり」に自分の介在価値を発揮したいという「志」がどんどん育まれていきました。

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私の心は、対若者、対教育、対ローカルにどんどん向いていきました。

一人一人が「自己肯定感」を持てる社会

そして、もう1つ大事な観点があります。

それは、そんな若者を受ける入れる「企業の成長」です。

つまり、イケてる子供を増やしたいならば、私たち大人がイケてなければイケてる子供を増やすことは当然できないわけです。

いかにイケてる大人、イケてる企業を増やすか。

これは自戒を込めて述べています。

もちろんこのテーマは過去から今日に至るIKK人生で微力ながら実践してきたつもりです。但し、「残された時間」とこの国が抱える「課題の深さ」を考えた結果、このような決断をさせていただきました。

私が生きている間にこれらのテーマが解決することはないかもしれません。
ただ、その礎に何か刻むことができたならば、私にとっては本望です。
可能性の秘めた若者たちの未来は、人類が一致団結して創っていかなければなりません。

そんな葛藤もあり、この直近3年間は悩み、自問自答し続けていました。
ただ、正直な胸の内を明かすと中々すぐに「決断」することができない状況が続きました。

■やっとみつけた「天職」と「天意」

私がとても大切にしている考え方です。

何が正解かではなく、選んで道を正解にする

これは、私自身が皆さんに対して発していた言葉でありながら、自分自身に向けた言葉でもありました。

2012年12月に私は人事(HR)に着任しました。約8年前です。
この転機が私の人生を大きく左右することになりました。

HR分野について探求する時間は、もはや「趣味」といって良いぐらいのめり込みました。寝食を後回しにしてでも、組織のこと、教育のこと、採用のこと、「人の可能性」を考えるときの時間はエネルギーに満ち溢れていました。

HRは「組織のドクター」であり、「働く人のドクター」だと自負しています。そして、私は生涯、このHRというポジションの可能性について探求し続けたいと思っています。国家資格のキャリアコンサルタントを取得したのもこういった思いからでした。

以前から「人」の変化や心理、他者との相互作用による影響など、つまり「人の可能性」については人一倍関心が高かかったと思います。

その理由は、幼少期の転校生活、地方暮し、それによる環境のギャップや格差を小さいときから体験し、その結果、「見せかけの自信とコンプレックス」の狭間で生きてきたルーツにあると思います。

例えば、ある学校では学力が常にトップ3にいましたが、転校した学校では300名中下位ワースト10という経験をしたこともあります。当時は全く深く考えていませんでしたが、こういった生活を含めた「環境の差」や「出会いと別れ」を人一倍繰り返してきた幼少期の経験が「人」に対するある種の執着心を醸成させたのだと思います。

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■IKKで得た「生きる力+α」

最後に後輩であり、同志である皆さんにお伝えしたいことがあります。
それは、「今」に没頭する大切さについてです。

20代前半「一生懸命、無我夢中で生きた時間」が、時を経て、このような「結果」と「自信」そして、「道」を与えてくれました。
その時々、私には数多くの支援者がいました。

先ずはその基礎となる「生きる力」をしっかり養うことです。

目先の損得に翻弄されてはいけない

「本質」を大切にする環境にいることは、非常に大切です。

with/afterコロナの時代における、最も大切な「生き抜く力」は、

「哲学」×「変化対応力」×「人的ネットワーク」

です。それ以外にも細々したスキルはありますが、これがベースです。

ちなみに、「人的ネットワーク」はその人の生き方に比例すると思います。

この会社に入社して会得した最大のポイントは、

「常に世の中はたった一人の本気から始まり、その灯火がSynergyを発揮して人々の可能性をひろげる」ということです。

前職も含め、今後も「人と人とのインフラ」づくりに力を入れていきたいと思いますし、まずは、自分自身がその灯火を着火できる人間でありたいと思います。

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この世に誕生した「事実」にどう「意味」見出すかは一人一人の志だと思います。
私は37年かけて、やっと「見出す」ことができました。

今後とも、皆さんの「尊い人生」にSynergyを発揮できる機会があれば喜んでお役に立ち続けたいと思います。

何か質問や相談があれば引き続き、遠慮なく連絡をください。
今後は更に、次世代への関りを企業という枠組みを越えて強化していきたいと思います。

■37歳の新入社員としての抱負

VUCA時代、人生100年時代、AI時代、with/afterコロナ・・・

正直、この時代、これからの時代を体現する「キーワード」は枚挙にいとまがない・・・

つまり、だれも未来なんて予測できないなかで仮設を立てて生きているわけです。

未来を予測する最良の方法は、自らそれをつくり出すしかない。

私の人生のベースとなっている「7つの習慣」には「第8の習慣」と「第9の習慣」があります。ご存知でしょうか??

第8の習慣は、
「自分の内なるボイス(声)を発見し、ほかの人々も内なるボイスを発見できるように奮起させる習慣」です。

第9の習慣は、
「生まれたときより、より良い場所にしてこの世を去る」です。

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私は、37歳にしてやっと本当に力を入れて取り組みたいことが見つかりました。もちろん今までもその「類」は私なりに描いてきましたし、目指すべきものはありました。だからこそ、ここまで頑張ってこれたわけです。

しかし、今抱いているような「感覚」は20代にはなかったです。

じゃあ、その感覚がなかったからといって、20代、30代が中途半端だったかというと決してそんなことはありませんでした。

目指すべきものがなかったら、幸せを感じられないかというと、そんなこともありませんでした。

エドガーシャインも、ここでいう「感覚」のようなもの「キャリアンカー」という言葉で説明しています。

人によって差はありますが、エドガーシャインは、社会人として10年程度の経験がないと、中々、真にキャリアアンカーを見つけることはできないというメッセージも残しています。

10年という期間はさておき、一定の経験、体験が必要ということにはとても共感します。今を尊ぶことが最も大切です。

成功の反対は、失敗ではなく何もしないこと

今までTwitterを通して情報を発信してきました。

これは、自分で自分を鼓舞する意味もありました。そして、自分で自分を鼓舞すると同時に、社会とSynergyを発揮していきたいと思いTwitterを続けています。

Synergy溢れる社会こそ、人間社会の醍醐味であり、私たちの可能性であると確信しています。

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引き続き、皆様と共に、「不確実な人生」を味わいたいと思います。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

フェイスブックでも今回の件についてご挨拶をさせていただきました。

お時間があればのぞいてみてください。

ご縁に感謝。

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