子どもを通して人生を反芻する

先日小さな事件がありました。長女が出しっ放しにしていたオモチャを夫がうっかり踏んづけて割れてしまったのです。
夫は「ごめんね、踏んで割れちゃった」と謝ったのですが、壊れてしまったオモチャを見る長女の表情は余りに悲しそうで「あぁ、この子はこういう表情をするんだ」なんて妙に感心しながら壊れたオモチャをセロテープで補修したのでした。

長女(3歳)はとてもお喋り上手です。自分が何をしたいのか、何故したいのか、頭で考えて話す事が出来ます。嬉しい時は嬉しい、嫌な時は嫌だと表現します。

一方スーパーの袋をカシャカシャするのにご執心の次女(5ヶ月)は、目があってニコーッと笑いかけるとニコーッと笑い返してくれます。
言葉を知らないと言う事は当然頭の中も言葉で考える事が出来ません。こちらが繰り返し「楽しいのねー」と話しかけ、その感情が「楽しい」という名前なのだと学習していくのでしょう。

よく「子どもは3歳までに一生分の親孝行をする」と言われますが、私たちが親がそうであった様に2人ともこの時期の記憶はなくなります。それでも親の記憶には確かに残る大事な宝物です。きっと自分や子どもの人生の節々にはこの時期の事を思い返すのだと思います。

子どもは当たり前に子どもであって、自分がどの様に育っているかを意識する事がありません。
何も出来なかった赤ちゃんが自分の足で立ち、言葉を覚え、自分の人生を自分で歩いていく準備を進めていく。誰もが通ったはずなのに覚えていない道を、親となって立場を変え、子どもを通してもう一度思い出していくのかもしれません。


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