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【第2回シアターホームステイプロジェクト】岩澤哲野レポート

若手の演劇人・アーティストが他地域の小劇場に滞在し、今後の活動について構想する「シアターホームステイプロジェクト」。
2022年10月~2023年2月に行われた第2回目の参加者によるレポートの紹介です。

■岩澤哲野(theater apartment complex libido:代表、演出家)
松戸→津
津あけぼの座 2023年1月22日(日)~1月27日(金)

【津MAP】※岩澤が津の気になるところ・訪れたところをまとめたマップ
https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?mid=19ev4e5KrRua1o_YAiZEnImbFpJcQ24c&usp=sharing

6日間の滞在。とても有意義な時間を過ごせたと思う。
以下今回自分で儲けた2つのテーマから振り返る。

・津あけぼの座の成立ちと地域演劇の継続について
津あけぼの座は元々学習塾だったところを三重大学を母体に油田さんと山中さんが立ち上げた(1995年)劇団ゴルジ隊の劇団で借り上げたところからスタートしたそうだ。
その後、2005年に劇団を解散した後、音響・舞台製作会社として山中さんが立ちあげた有限会社「現場サイド」と、油田さんを代表として立ち上げた特定非営利活動法人パフォーミングアーツネットワークみえ(以下、パンみえ)の事務所としても活用してきた。今はパンみえが津あけぼの座の運営を行なっている形になっている。(津あけぼの座開館が2006年)
これまで3回畳むことを考えてきたそうだが、その度に環境の変化や周辺から反対の声が上がり、今に至るそう。その3回というのが、大学を卒業するとき、劇団を解散したとき、最盛期から観客など下降に向かっていたとき(コロナ直前)というから、演劇やってたら誰もがぶつかる3大過渡期を全て乗り越えてきている。そして今、劇場のプロデューサーを若手に渡し、油田さんはお隣の四日市市の文化行政を担う新たなステップに入られた。地域という場所で続けていくだけでもすごいことなのに、さらに環境を更新していく姿勢には頭が上がらないし、地域や地方で演劇を続ける人間にとって希望の星なのではないかと思っている。だからこそ、参考になることが多くある場所なのだと思い、継続していくために必要なことを求め、今回の滞在に臨んだ。
最初、これまでの経緯を聞いていると、かなり行き当たりばったりだったようにも聞こえ驚いた。でもそれは常に仲間と周辺の人たちとの関係を大切にしてきたからこそなのであって、つまり、現場を常に反映しながら活動してきたということなのだと思い腑に落ちていく。その都度都度の出会いによって守られてきた場所なのだとも感じた。
団体をずっと支えてきた油田さんと中山さんにはそれぞれ別の顔があり、お二人とも学生時代から舞台を作りつつ、テレビ会社で仕事をしていたそう。山中さんはその後、現場サイドを立ち上げ、舞台とテレビの裏方の仕事を、湯田さんはテレビ局でのプロデューサーとして、生活のお金は稼ぎつつ、地続きで仕事を演劇に還元しながら演劇を続けられていた。これは大きい。
また、津あけぼの座というコミュニティがあるのと同時に、お二人が街のコミュニケーターになっていたのではないかと感じ、これも継続に大きな意味をもっていたのではないかと思う。一緒になにかをやるための技を多様に持っていて、その場を具体的に用意する能力と環境を創れていた。さらにお二人のコミュニケーション能力と人柄、嗅覚があって、次々に新しい関係地を創れていたのではないかと感じた。だから単純にお芝居を作るということ以外に、地域との関係地が築けていたのではないかと思う。
地域や地方で演劇を作っていく上で、この点はかなり大きいと思う。歳を重ねるごとに生活環境は否が応でも変わり、演劇と掛け離れていったときにその両立に苦しみ演劇をやめていってしまう人は多い。特に、地域や地方で演劇を継続していくときに難しくなるのは、圧倒的に生活の領域が大きくなるところにある。演劇という最も非効率的で経済的な側面と(一見)かけ離れていることを生業としていくには、それなりのバックアップを獲得していくしかない。しかし、地域や地方であればあるほどそのバックアップはない。油田さんたちのすごいところは、自ら生活という領域を逆手に取り、そこでのバックアップの環境を自ら作ってきたところにあるのだろう。しかも、その街の生活、つまり生活圏を大切にする中で、行政や外との関係づくり、勉強も怠らず、その街に足りないことの取り込みも同時に行なってきたからこそ、そこでしか成立しないようなつまらない環境ではなく、有機的な場づくりができているのではないかと思う。その結果が油田さんの四日市市文化会館・三浜文化会館アートディレクター就任にも繋がっていったのだと思うと、尚更僕のような人間にとって希望に繋がり、つまりそれはどこに出しても通用する一つのモデルケースを作り出したのではないだろうか。
もう一つ強調しておきたいのは、油田さんたちは”演劇の持つ社会性を大切にしながら”、恥じない演劇を続けてこられたということだと思う。地域でも地方でも最初からガッツリ政治に入り込み、自らの地位を確立していくこともできるだろう。そういう方もいる。ただ、そのときに周辺の環境がおざなりになってしまうことは容易に想像ができ、そのときの地域演劇の価値はどこにあるのかと個人的には疑ってしまう。そして、その場所では生きづらくなるだろう。(自戒も込めて。ただそういう方がいるおかげで演劇が広く認知され、間接的な影響を受けることもあるから一概に否定できるものではないのだが。あくまでもここでは地域演劇という文脈で。)
まとめると、地域演劇を成立させていくためには、そこに生きる人たちと演劇を共有しながら、どうやって地域外の視野を持ち続けることができるのかなのだと思う。”地域”演劇と前置きしてしまったが、個人的には全ての演劇をやる人間がその視野を持ち、活動していくべきだとも思う。本来演劇とはそういうものだったのではないか。そして、同時に、その視野を今一度獲得していかなければ、今の時代”演劇”は生き残れないのではないだろうか。もっと言うと今の”人間”に足りないのはそういうことなのではないだろうか、と思うのである。

四日市市三浜文化会館(カルチュール三浜)

・津の演劇文化を中心とした官民連携の成立ちとそのためのコミュニケーションについて。
津の演劇を語る上でもう一つ無視できないのが三重文化会館とそこの副館長である松浦さんの存在だと思う。自分の三重との出会いはこの三重文化会館が最初で、すでに10年以上前になる。
三重文化会館は行政施設という立場で、津に多くの演劇文化を外から取り込んできた。その大きな役割を果たしたのがMゲキ!!!!!セレクションであり、全国的に注目されつつある劇団や、劇作家・演出家を三重県文化会館が独自にセレクトし、自信を持ってオススメするステージである。自分もこのMゲキでセレクションされた劇団の助手として津に訪れたのが最初であった。ホントに忘れられない思い出だ。
他にもOiBokkeShi主宰の菅原直樹さんとタッグを組んだアートプロジェクトや市民と共に創るミエ・演劇ラボ、ミエ・ユース演劇ラボなど地域と演劇を繋ぐ取り組みを数多く手掛けてきた。その仕掛け人が副館長である松浦さんである。これらの取り組みは市民に対してもももちろんだが、演劇人側にも大きな影響を与えていると思う。
その中でも今回の滞在で自分が一番興味を持って調べていたのが津あけぼの座と共同で取り組んでいるMPADであった。(あいにく今回の企画の中でMPADの時期に訪れることはできなかったが、2019年に自分も見にいっている)MPADは三重県内の飲食店・寺院を会場に、素敵な料理と名作・古典を読むリーディング公演をセットで楽しむという企画。これぞ官民のお互いのいいとこ取りをして補完をし合いながら、地域の中で演劇が活きる一つのモデルケースだろう。
これが成立したのは意外と単純で明快な理由だった。お互いがお互いを必要としていて、そのお互いの息があったということに尽きるのだろう。でもその手前の条件までを成立させるのが難しい。行政側はやる気のある人間が仮にいたとしても、やれ条例だの、やれ前例がないだの、ということで上に話を通せないことで潰れるケースが多い。民間側は上記でも記したようにまずは地域の中で信頼を獲得していないとできない。(どちらも松戸で痛感していることでもある)
お互いが開いた視野と、それを実行するための条件を揃えた上でないと始まらないのだ。それぞれがその素養を有するだけでも一苦労なのに、それがある種奇跡的に揃い、10年もの間続けて来られたことは他に類を見ない演劇界の奇跡、と言いたくなってしまうほど、稀なことなように感じる。なににしてもこれからの演劇界を見ても重要な実績だろうと思っている。この関係地が演劇人の多くの雇用創出にも繋がっていくはずであるし、実際に演劇の専門性を社会で確立していくことにもなる。
今回の滞在では会場となるお店をできる限り回ってみた。一部油田さんにも付き添ってもらったのだが、その中で印象的だったのは、お店の人と油田さんのコミュニケーションだった。まるで、友達、もしくは親戚なのか、というぐらい距離が近いように感じた。この関係性を築くにはちょっとした付き合いだけでは無理だ。10年続いた結果もあるだろうし、もしかしたら全店舗と同じような関係地があるとは限らないかもしれない。それでも、その関係地を見れたのはでかかった。また、最初から関係性だけで頼んでいるという訳でもなく、どのお店も抜群に美味しく、物語があり、ロケーションも良い。また、地元の中では有名な良店ばかりだった。油田さんはそういったお店をテレビの仕事の中で見つけ、関係地を築いてきたとおっしゃっていたが(全部ではないかもしれないが)、そもそもその手前でそれができる環境を手に入れていた、もしくは活用できたことも大きいと思う。
松浦さんもそうだが、両者とも、自分の目で、自分の足で、ちゃんと見て、食べて、話して判断する。そういった人たちの言葉は強い。だから信頼する人が多いのだと思うし、必要な環境を手に入れ、良質なものを提供する下地が揃う。その結果、広がり、仲間を作り、「続く」のではないだろうか。

結局、”人間力”に尽きるのだとも思う。経験値と言い換えてもいいかもしれない。自分の持っているポテンシャルと、それを上手く活用していくための発想力。これらは結局その人の持つ経験値から導き出されるものなのではないか。また、今改めてこの時代に問われていることなのではないだろうかとも思う。その能力を身につけるのは、人と人のコミュニケーションの中でしか育たないし、時間もかかるからめんどくさい。全てが心地よいものではないし、さまざまな人がいるから、上手くいかないことも多い。でも結局上手くいかないときに助けてくれるのも人だ。演劇という人と創ることをやっている以上、引いては人間社会で生きていく以上、その付き合い方を考えることからは逃れられないのだとも思う。そしてその中で生きていくことが、経験値を積むことであり、”人間力”を養うのではないだろうか。
ということを今回の滞在を通して自分によくよく言い聞かせたい気持ちだ。そして、同じように悩むものに手を差し伸べられる人間になっていきたいと心から思う今日である。

今回の滞在で、自分のやっていること、やりたいと思っていることに強く勇気をもらいました。
演劇の業界(多数)ではなく、地域や地方などの演劇の文脈が弱いところ(少数)で演劇を続けていくためには、外で同じような活動をされている同士を見つけ、情報収集・共有をしていくことが大切だと感じさせられた滞在にもなったと感じています。
同時に、続けていくことこそ大切で、いかにそのための環境を作れるか、その環境づくりにこそ地域では頭を働かせなくてはならない。諦めないことの大切さを教わったと思います。

書き足りないぐらい学びの多い6日間であった。

以上、シアターホームステイの記録と報告とまとめとして。

最後にこの場を用意してくださった全国小劇場ネットワークのみなさん、最初にお声がけをしてくれたE9の木元さん、受け入れてくださった油田さんはじめ津のみなさんに心から感謝いたします。

Théâtre de Belleville
四天王寺スクエア(2021年3月末閉館)が入っていた四天王会館
MPAD会場の一つでもある「うなぎ料理 はし家」

主催:一般社団法人全国小劇場ネットワーク
助成:公益財団法人セゾン文化財団「創造環境イノベーション」

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