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【第2回シアターホームステイプロジェクト】泉宗良レポート

若手の演劇人・アーティストが他地域の小劇場に滞在し、今後の活動について構想する「シアターホームステイプロジェクト」。
2022年10月~2023年2月に行われた第2回目の参加者によるレポートの紹介です。

■泉宗良(うさぎの喘ギ 劇作家・演出家、心斎橋 ウイングフィールド 劇場スタッフ)
大阪→札幌
扇谷記念スタジオ‐シアターZOO 2023年1月17日(火)~1月23日(月)

今から記すことは私が1週間という短い滞在期間の中で感じたことに過ぎず、主観的なものであることを初めに断っておく。

滞在期間の1週間の中で私は、扇谷記念スタジオシアターZOO、ターミナルプラザことにパトス、生活支援型文化施設コンカリーニョ、演劇専用小劇場BLOCH、札幌市こどもの劇場やまびこ座、レッドベリースタジオと、札幌市内の7つの劇場を訪れ、観劇をし、劇場の方や、劇団の方のお話を聞かせていただいた。私は今年度から大阪心斎橋にあるウイングフィールドという劇場でスタッフとして働いており、年齢も26歳になり、自分より下の世代の実演家と話すことも増えた。その中で、これからの大阪の小劇場はどうなっていくのだろうか、どうなっていくべきだろうか、自分には何ができるだろうかということを少しずつ考え始めたタイミングであったので、札幌という他地域の演劇シーンを少しでも垣間見ることが出来たのはとても良かった。
大阪と札幌の演劇シーンを比べて、まず初めに印象に残ったのは、ネットワークを作り、みんなで札幌の演劇シーンを盛り上げていこうという意識の高さである。札幌市内の劇場で劇場連絡会が作られており、そこで情報交換が行われているということや、TGR札幌劇場祭、札幌演劇シーズンといった多劇場が共同で行う演劇祭の存在など、そういった札幌全体で盛り上げていこうという試みはとても参考になった。この意識の高さはどこから来ているのだろうか。札幌の演劇に携わっている人々が何気なく口にする言葉に、「札幌は歴史が浅いから」というものがあった。この言葉は、本当に、あちこちの劇場で言われた。歴史がないから、自分たちで文化を創っていかなくてはならない、バトンを渡していかなくてはならないという、文化の担い手としての自覚が伝わってきた。大阪は、今、閉じていてもギリギリやっていけるぐらいには文化の土壌や、規模があるのだと思う。今の大阪は、育った文脈、系譜、作風、さまざまなところで線を引き、内輪で作品を消費しあうといった状況が散見される。大阪ではなく、より小規模なコミュニティにアイデンティティを見出している。それでもやっていけてしまっているため、全体のことを考えようという意識が低い。もちろんそういう人が全くいないわけではないだろうが、このままでは先細りしていく未来しかないように私は思う。元々、大阪が分断されているという感覚はあったが、それが実際にどれだけのことなのかは、札幌という大阪とは別の演劇シーンに触れることでしか気づくことが出来ないものだっただろう。
次に印象に残っているのは、芸術に対する公的なサポートの多さと、その多様さである。札幌市こどもの劇場やまびこ座、札幌市こども人形劇場こぐま座という二つの劇場が存在することは間違いなく演劇をより身近な物にしているだろうし、私が寝泊まりしていたさっぽろ天神山アートスタジオも信じられないような安さで宿泊させていただいた。先に述べた演劇祭でも何らかの形で札幌市が入っており、公的なサポートの手厚さを感じた。大阪の文化に対する無理解ということは、風潮としては知っていたし、よく耳にしていたが、これも、他地域の演劇シーンを見ることで、その違いを知ることが出来たというか、愕然とした。現状の大阪の演劇人の中には、過去の様々な出来事の末、公共に対して不信感を抱いている人も少なくない。私も劇場で働いている以上、多少は何が過去にあったのか聞いているが、もうそういったことを気にしている場合ではない気もする。
今、大阪には、私の勤めるウイングフィールドが開催している若手の登竜門、ウイングカップの次のステップが減っていってしまっていることが、若手にとっては問題だと私は考えている、し、一実演家として感じてもいる。應典院が開いていたSNDや、AI・HALLのbreak a leg、KAVCのKAVC FLAG COMPANYがなくなり、ロームシアター京都×京都芸術センターのKIPPUぐらいしか関西圏にはもはや存在しない。そんな中で、では、ウイングカップの次のステップもウイングフィールドが担うのか、という問題は、予算のことや、どのようにして差別化を行い提示するのか、といったことを考える必要があり、難しいものがあると感じていた。しかし、今回の札幌の滞在で、何かヒントをもらったような気がする。他劇場との共同で次のステップとなるような何かを考え、それを運営するための連絡会を作り、公共から予算をとってくる。それだけのことが今の私に出来るかは分からないが、挑戦する価値は十分にあるように思う。逆にいえば、ウイングカップのような若手の大会は札幌にはないのだろうかということは少し気になった。私のリサーチ不足かもしれないが。

 ここまでは、劇場スタッフとしての、北海道での滞在に関する感想である。ここからは、実演家として、劇作家、演出家としての私が1週間の札幌滞在をどう感じたかを記していきたい。まず、雪の中を歩くという体験が純粋に楽しかった。私は、大阪でも和泉市という南の方のどちらかといえば海に近い地域で育ったので、ほとんど雪に接した記憶はない。最後に積もった雪で遊んだのは高校生の時なので、およそ10年前ということになる。そして、和泉市の中でも泉北ニュータウンというベッドタウンで生まれ育ったので、そもそもほとんど自然に触れたことがなかった。私は、作品のテーマとして「実感の喪失」というものを掲げて創作活動を行なってきたが、そこには、身体性の喪失のようなものも含まれており、一つの役を複数人で共有して入れ替わりながら演じる、手に小道具を持ちそれで手遊びしながらほとんど身体は動かさずに発語するといったことを試みてきたが、それは、整理され迷うことのない街の、舗装された歩きやすい道をずっと歩いてきて、自分の身体というものがまるで存在しないかのような感覚をニュータウンで抱きながら生きていたからだと思う。だが、雪の中を歩くという行為は、自分の身体を意識せざるを得ない。自分の身体の重心はどこにあるのか、それぞれの筋肉はどのくらい疲労しているのか、そういったことを常に考えながら転ばないようにと次の一歩を踏み出す。こんなに歩くという行為に真剣になったのは初めてで、とても楽しい経験だった。
だから、安直に、自然があって良いなあ、みたいなことを滞在して最初の数日は考えていた。だが、そこから札幌のいろんな人に出会い、「札幌は歴史が浅いから」ということを何度も言われるうちに、ここは人工的に造られた場所で、雪はそこにあたかも自然があるかのように錯覚させるカモフラージュなのではないかということを考えるようになった。そのようなことを考えたとき、私の中での札幌に対する親近感が高まった。私が大阪から来た人間であるということを前提にして彼らが「札幌は歴史が浅いから」というとき、そこには大阪という場所との比較があるように感じる。だが、私も、和泉市のニュータウンで育ち、隣の岸和田市ではだんじりという文化があり、熱狂的に愛している人も多い中、自分の街には何もそのようなものがないという、アイデンティティーのなさみたいなものを感じながら生きてきた。そのような、他地域と比較した時に生じるアイデンティティーに対する不安のようなものが共通点としてあるような気がして、親近感を覚えた。そしてまた、その私が今、大阪にアイデンティティーを持つ者として、「札幌は歴史が浅いから」という話をされている。それは、アイデンティティーというものが、ぼんやりとした、時に相対的なものであることを私に思い出させた。
すると、やはり気になるのは雪である。雪の暴力性。雪は強制的に空間を変容させる。雪は強制的に私を自然に接続させる。そういえば、私が札幌でみた演劇はどれも空間によって俳優に負荷がかけられているものばかりだった。劇団イナダ組の『春の黙示録』ではちゃんと立つことの出来ないほど低い屋根の家の中で芝居が繰り広げられていた。Aercs企画の『泡にもなれない』では、部屋を規定する美術が何度も移動され、部屋の向きがどんどんと変わっていった。さまてまぴの『酸いも甘いも全部キモ』では、レッドベリースタジオの空間を余すことなく使い、普段はオペがいるのであろう2階(?)や、お手洗い、半地下の倉庫まで劇空間として使っていた。偶然私が観た演劇がそうだっただけかもしれないが、大阪では空間にこだわった演劇をここまで続けて観るということはなかなかない。雪の上を歩く。踏みしめて歩く。足跡が出来て、自分がどのように戦ってきたかが分かる。また雪が降り積もる。また、全てが真っ白な世界に戻る。演劇も同じようなものかもしれない。
1週間という滞在期間は、札幌を知るには到底足りない期間であったが、個人的に良かったのは、この滞在がただ外から札幌を眺めて終わりではなく、自分自身について考える時間にもなったことだ。先の文章で、雪の暴力性と書いたので、何か雪が全体主義的な、全てを塗りつぶして統一してしまうものかのように感じたかもしれない。だが、私が感じたのはむしろ逆のことだ。ニュータウンの整理された街並みで塗装された道を歩くとき、そこには身体もなければ、アイデンティティーとすべき場所もない。あるのは、ただぼんやりとした曖昧な全体である。雪は、確かに何かを覆い隠してしまうこともあるだろう、しかし、雪の中を歩くとき、確かに私の身体は存在した、個としてあった。いつか、ここで作品を創りたいと思った。

シアターホームステイの企画を最初に聞いたとき、「何かしても良いし、何もしなくても良い」といったことを言われた。今思えばそれがとても大切なことだったように思う。そのように言われたからこそ、固定された一つの視点や、何かの目的のためのリサーチといったことにならず、自由に色々と考えながら、1週間を過ごすことができた。この企画が続くのなら、ぜひその部分も変えずに残してもらえたらと思う。最後になりましたが、全国小劇場ネットワーク、札幌の皆様、本当にお世話になりました、ありがとうございました。

主催:一般社団法人全国小劇場ネットワーク
助成:公益財団法人セゾン文化財団「創造環境イノベーション」

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