記憶の落とし穴
こんばんは、結構なお酒が入った状態でお届けしています。
osake oishii ne demo amari nomisugicha dame...
ちょっとちょっと!!!2000年代のどうでもいい日本語をアルファベットで書くミームじゃん!?
僕が小さいころには、身の回りにそういうグッズがあふれていたんです。ほんとです。
お弁当箱、お皿、リュックサック。
ダセーくせしてノスタルジーで胸がいっぱいになって苦しくなる記憶。
でも、意外とこういう記憶って、幼い自分の写真とかみて客観的に感じたことをあたかも体験したかのように頭に残ってしまっているので脳内補完で脚色させている場合が多いですよね。
だから、幼い時の記憶ほどあてにならないものはないんッス。
そこで最近あった、それを改めて実感した出来事をkaite ikuyo....
これは僕は小学生低学年の時の話、僕はなぜか自分の家の庭に落とし穴を掘ることにハマっていた時期がありまして、拙いながらもそれなりに作っていた覚えがあります。
どれだけ目立たない落とし穴にするか、枝を組んで、藁を乗せ、土を被せる。
誰に仕掛けるでもなく、誰がかかるでもなく当時の自分が何を考えていたかは分かりませんが、暇な時は穴を掘っていました。
その日も僕は穴を掘っていました。いつも通りの深さ。その落とし穴にある程度の満足感を得ていたと記憶しています。
同じ日、当時中学生だった兄が入っていた野球部の友人たちが泊りに来ていまして、当の僕は庭に落とし穴を掘ったことなんて忘れて眠っていました。
そして次の朝、母親からその落とし穴に帰宅しようとしていた兄の友人がハマってしまい、怪我をしたという話を聞かされました。
その後、その兄の友人は怪我をしたまま野球部としての最後の大会を迎え、その怪我が原因で出られないまま中学野球を終えてしまったと....。
僕の記憶では、僕の記憶ではね?そんな具合なんすよ?
僕は定期的にそれを思い出しては、あぁ申し訳ないことをしたな、ぼんやりとした罪悪感を感じていたんですけど、先日母親に聞いてみたところ。
え?そんなことあったっけ?
え?僕の勘違いなの?この記憶何なの?
まあ、こんな大きな話、母親忘れるわけないしな...。
確信はできませんが、母親の反応を見る限り、そんな事実はなかったようです。何を見て、僕がそう思い込んでいたのか分かりませんが、荷が降りました、特大の大荷物。インドの列車から定員300%のお客さんが全員降りていったようです。ほっ。
結構気にしてたんだぜ?だって人の一生を捻じ曲げてしまっていた可能性を僕は持っていたわけだから。
僕が結構神妙な声色で聞いたので、もしかしたら母親は気を使った可能性は微レ存ですが、自分の身がかわいいので都合の悪いことは忘れます。プロ野球選手のアキレス腱をちぎってしまったわけではないので。
まあ、オトシアナーとしては、いつかはプロ野球選手の選手生命を途絶えさせてるほどの穴を掘ってみたいですね~。
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